アメリカ文学で最初にレズビアンを扱ったと言われるヘンリー・ジェイムズの作品。
ストーリーは、フェミニストとして活動している主人公のオリーヴが、活動と生活のパートナーとして年下の女性ヴェリーナを選ぶ。そこにランサムという男性が割り込んできて。。。という話。
結局ヴェリーナは強引にランサムに連れ去られてしまうんだけれど、それは決してオリーヴの敗北という形ではないように思うのね。ランサムは誰が読んでも嫌なやつで、ヴェリーナを人間として扱ってない。単なる所有物なわけ。
ところが、むかーしむかし、この話を読んだときに同時に読んだ解説。これがひどかった。
女性に権利なんかいらないって言い切るランサムに対して非常に同情的で、オリーヴを、排除すべきレズビアンとしてあつかっていて、しまいには「作者は何を書いているのかわからなかったのかもしれない」とまで書いてた。
これがきっと、その時代のフェミニズムに対する考え方なんだろうなと思いつつ、あんまりといえばあんまりな解説なのね。だって作家自身を否定してるんだもの。作家が無意識に書いたのであろう内容、なんて作品論になりえないじゃないかー!!
おかしいのは、この作品を未だにそういう読み方しているヒトがいるというのをwebで最近読んだ。 フェミニズム運動をイコール理想主義の権化と決めつけて、この作品自体を、「理想主義人間の鬱陶しさにうんざりするところにシンパシーを感じる」とまとめてしまってた。
でもね、そうすると、ラストにオリーヴが流す涙とそれに関する一文は全く意味を成さなくなるんですけど。。。
うんざりしてるのは、ランサムなんですけど。。。
そういえば最近、この作品を大好きな監督だったアイヴォリーが映画化しているというのを知った。見たいー。。。
(1966年 中央公論社 絶版)
james_bostonians
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