自分自身を
憎しみさえかなわぬほどに憎んで
愛よりも深く愛する
あたりまえで
難しいこと
死んでしまった半身はどこへ行ったんだろう。
私が大学生のころこの作品を野田秀樹が戯曲化して上演しました。
萩尾望都と野田秀樹が共同で脚本を書き、16ページの短編を二時間の舞台へ大きく膨らませて。
原作者が脚本にかかわるのは危険な場合が多いように思うけれど、この場合は原作の思想を色濃く残しながら全く違う世界を作っていました。
特に印象に残った舞台装置の中の「螺旋階段」。舞台の中ではシャム双生児を二分の一プラス二分の一が1とはならずに四分のニになる「螺旋方程式」にあてはめて、その方程式の謎を解こうとする数学者が螺旋階段をいつも昇り降りするという演出があって、とても感覚的。 ここでもやっぱり私が好きなのが螺旋。。。
再演のときにはこの「螺旋階段」の演出がイメージの中だけになっていてとても残念だったけれど。
萩尾望都のマンガは台詞にいつもリズムがあって、画面がつねに流れている。登場人物は深く重い思考の海や、様式化された世界へぽーんと突き落とされてまどわされる。
これってかなり舞台的な気がする。。小説よりも、ずっと視覚的で混乱を混乱のままに提示できる。
そういえば、トーマの心臓も男性ばかりの劇団で上演されてるんだよね。その劇団の定番になってる。怖くてまだみたことがないけど。。
ポーの一族だけはあれだけ多くの人に愛されているのにどの分野でも再構築できないらしい。。
あの時間の流れと人の移り変わりの中でただ一点に留まり続けるしか無いエドガーたちの物語を別の形態でつくり出せる人がいたらすごいなあ。。
少しずれるけれど、それが出来るのはあるいは人形の世界だけかもしれない。
そうかー。。人形と吸血鬼ってやっぱり繋がっているんだあ。。
hagio_hanshin
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