ムーミン展に行って参りました。
大丸ミュージウムということで、どの程度の規模なんだろうなと思っていましたが、思ったよりはるかに多くの充実した原画、めったに見られない油彩、そして日本人の人形作家がヤンソンに贈ったムーミンのフィギュアなどが所狭しと並べられていて感動。会場をうろつきながら、ふたりそれぞれに見たいものを見たいだけ堪能してきました。
そういう中で、人間トーベヤンソンを垣間みることのできたのが、彼女の写真をコラージュしたアルバムを写したと思われる大きなパネルの数々。
見ると、若き日のヤンソンはショートカットに綺麗なラインのパンツの、すらりとした立ち姿。
ストイックな表情を漂わせ、スタイリッシュな部屋で目を伏せる彼女は、控えめに見ても。。。。
超ダイキー!!
会場で周りを見回しながらおもわず声を潜めてヨルと意味深に頷きあってしまった。。
そのくらいに若い頃の彼女には孤独と独立した精神の陰が見えている。
(いや、レズビアンだからというわけではないけれど。。。どこかそういう空気を感じたのよ)
パネルに写ったヤンソンは、まるで女優のようにドラマチック。
これは。。。ふつうの「知り合い」や「家族」が編集したアルバムではないと勝手に思い込んでしまいました。
そうして家に帰って早速調べることものの1分。
知りませんでした。
トーベヤンソンは、とってもアウトなレズビアンだったのですね。。。。。。。。。。
情報集めに燃えているわりには肝心なことは分かっていない無知さ加減を露呈するようですが。。。本当に知りませんでした。。
そして、涙が出るほどに嬉しかった。
心強く、同時に物さびしい。。。。といえばいいのか。
強烈に嬉しい気持ちと、同時にたまらなく寂しい気持ちと。。
調べてみれば、あちこちにソースがあり、なんといっても彼女がかなりアウトなレズビアンであったことから、タブー感はそれほどには強くなく、ビアンコミュニティにはおそらくある程度浸透している事実なのだろう(私が知らなかっただけで(没))。
けれど、日本のサイト(いわゆるマスメディアに関連するサイト。個人サイトにはちらほら)にはヤンソンの情報中にそういう記載は一切ない。
今回のヤンソン展の図録にももちろん全くない。
展示を見ている間に「もしや。。?」と思いはじめた私は展示されているものを片っ端から見直したけれど、むろんどこにもない。
ただ、作家や画家の作品展では有名な人であればあるほど履歴に記されている結婚歴や夫、子供のこともまた、どこにも見当たらない。
普段作家のプロフィールに「○○と結婚して云々」とあると、つくづく「関係ないじゃんか」と思う私だし、作家はその作品によってのみ語られるべきという思いに変わりはない。
けれど、ヤンソンが愛し、生涯のパートナーとして暮らした相手の存在を、展示会は綺麗に無視している。
作品の中にもキャラクター「おしゃまさん」として描かれた、その人を「親友」という言葉で葬っている。
図録にも、トーベヤンソンの恋人トゥーリッキは「大親友」と書かれている。
ヤンソンとトゥーリッキが二人で作ったムーミンハウスの模型の写真のキャプションにはトゥーリッキの名前さえ書かれていない。
これははっきり、トーベの、あるレズビアンが生きた歴史の隠ぺい、あるいは捏造だと思った。
調べた範囲では、トーベヤンソンは自分を語るときに「レズビアン」という言葉は使わなかったらしい。
日本語サイトでは、トゥーリッキがヤンソンの「親友」ではなく、生涯のパートナーであったことをきちんと書いている記事は、本当に数えるほど。
ましてや、二人の生き方について言及したものはどの程度あったのか。。
彼女が女性を愛する女性であったことはフィンランドでは公然の秘密であり、欧米では彼女がレズビアンであったがゆえにムーミンを読むことを禁止された家庭もあったらしい。
今は、そういう世の中なのだ。。
女性を愛する女性が自らの歴史を封印することで、生き延びる。。。
私が幼いころに大好きだった、少し無気味で、少し寂しくて、少しユーモラスな世界。
アニメのムーミンではなく、原作のムーミンに漂う真の孤独と、想像の世界なのに妙な存在感をもつキャラクターたちが、ヤンソンが描きたかった世界と理解している。
その世界を生み出した人が女性であること、女性を愛する女性であること、そのことがこんなにも嬉しい。
そして、その事実を日本では封印されたまま(一部では書かれていても、ほぼ99%のひとは知らないと思われる)であることが、苦しい。
この苦しさはそのまま、生きていく苦しさに繋がると身体で感じる。。
あれだけ名声を勝ち得ていながら、30年近くもの間、一年の大半をトゥーリッキと猫をつれてすごした孤独の島のヤンソン。
アニースあたりでどなたか、特集してもらえませんか。。。?
tove_tookikki
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