トーベ・ヤンソンがムーミンだけの作家ではないことはずいぶん前から知ってはいた。
大人向けにかかれた小説(ムーミン谷シリーズの中にも大人向けと思われるものはいくつかあるけれど)の和訳は、筑摩書房の「トーベ・ヤンソン・コレクション」という選集として出版されていて、どれも薄さにかかわらず高価で、気にはなっていても、わざわざ買って読む気になれなかった。
そういう私がムーミン展に行ったことで、彼女のセクシュアリティをめぐって俄然プライベートに興味がわいた。そうしてムーミン以外の作品も一気に読み始めたことは、ヤンソン自身の作家魂からすれば、とても不快だろうと思いつつ、どうしても止められない。
私のしていることは、一人の作家のプライバシー侵害なのか。。。?
公式なカムアウトもしていなかった作家の人生を裏から検証しようとしている一ファンとして、一セクシャルマイノリティとしての私は、自分の心臓に刃をつきたてているのと同じではないか。。?
自分に疑いを持ちながら、けれどどうしても知りたい。
作家として、画家として、イラストレーターとして、成功をおさめていたトーベ・ヤンソンという女性。
なぜ、彼女のセクシャリティは封印されていたのか。
それは彼女自身の意思だったのか。
それとも、周囲の配慮だったのか。
40年の間、ひとりの女性と生活をともにしていながら公の場ではほとんどカムアウトしなかったフィンランドの大作家。彼女が、晩年になって初めて恋人を公の場にパートナーとして連れ出し、続いて彼女との共同作業を次々に世に送り出していったことの意味。
多くの子供たち、そして親たちに愛される「ムーミン」という作品。その作者が女性を愛する女性であったことがもし日本でも知られていたなら、どれほど多くの女性を愛する女性たちにとって心強い力になってくれたことか。
初めて彼女のセクシャリティについて気づいたときに私が感じた衝撃は、たまらないうれしさと、やり場のない怒りと、悲しみと、すべてが混沌としていた。
なぜ嬉しいだけではないのか。
この苦しみを、あるいは作家自身も味わっていたのではないかという思いが、どうしてもトーベヤンソンのすべての作品を読むまでは消せない。
そう思った。
そうしてわけの分からない感情の中で、まず読んだ「島暮らしの記録」は、小説ではなく、文字通りトーベとその恋人トゥーリッキの孤島での生活日誌。
そこここに二人の芸術家の生き方のエッセンスが漂う。
孤独さの重要性、それでも一緒にいることの意味。
そうして次に読んだのがこの本、「フェアプレイ」。
登場人物は二人の女性。
マリはどうやら作家で、かつイラストレーターらしい。
ヨンナは版画家らしい。
ヤンソンの筆は二人の背景について一切説明していない。
同じアパートの端と端に住んでいたり、孤島の小屋でボートの心配をしたり、二人きりの旅行でともに旅の感傷にひたっていたり、あるいは枕を並べて眠ったり。。。
エピソードごとに二人の住環境は変化している。
その関係性は会話の中で確認される。
マリの小説について批評するヨンナ。ヨンナの愛弟子に嫉妬するマリ。仲間とのパーティを直前で断って、二人きりの楽しみであるテレビでの映画鑑賞にふける。
その会話もともすると紋切り型で、愛想のかけらもなく見えたりする。
この小説の中、二人の女性は年齢についても容姿についても、ほとんど言及されない。
主人公二人以外のキャラクターについては、逆にこまかく描写されていることが、この演出が意図的であることを知らせている。
驚くのは、これらの情報がないというだけで小説はとてもシンプルになるということ。
マリとヨンナの二人の女性のゆるぎないキャラクターだけが、この小説を支える屋台骨となっている。
彼女らの動きと心は最初、うすぼんやりとどことも知れない都市の部屋の中に浮かび上がり、やがてまぎれもない「マリ」「ヨンナ」という二人の「女性」として直接読む人間に働きかけてくる。余計な情報がないことで、二人の個性のみが際立つ。
老年を迎えたトーベヤンソンの描くこの二人の女性たちには、「女性ゆえの痛み」はない。
声高な主張もない。
ただ、人間として女性としてそこにあって、その感性のままにむきあった相手とのやりとりを日々続けること。たったそれだけのことが、この上ないヨロコビと映る。
そっけない二人のやりとりに、エピソードごとに変わる二人の住環境のいっぽうで変わらない心の距離に、年月の重みとともに限りない人生への満足感が透ける。
マリもヨンナも平穏無事に一生を過ごしてきたわけではないことは想像できる。
けれど、今そこにいること、決してべったり依存せず、一日一日、それぞれが明日に向かっていることを確認しあう関係性。
孤独を愛したといわれるトーベヤンソンだけれど、ともに人生の航海を楽しむ相手がいたからこそ孤独を楽しめたのだと感じられたのが、最後のエピソード。
同性を愛しながら老いていくことを恐れている人にはぜひ読んで欲しい一話だと感じる。
マリとヨンナの生き方には、勇気という言葉がぴったりする。
トーベはここにいたるまでに苦しかったろうか。
楽しんでいただろうか。。
どんな人生を送ったにしろ、老年を迎えてなお、人生の出帆を恐れないマリとヨンナを描くことのできたトーベ・ヤンソンという作家に、拍手を送りたい。
かくありたい、と滅多に思わないことを思ったりした。。
トーベ・ヤンソンには迷惑であろうけれど。。。
次に読むのは「誠実な詐欺師」。
トーベの影の部分を読むことができるかもしれないと、予感している。
(トーベ・ヤンソン・コレクション7・1997年12月刊・筑摩書房)
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