最近ビアン・バイの著名人に興味を持っています。
セクシュアリティについてはさほど重要ではない、自分自身のセクシュアリティさえ不明なのに。。。というスタンスでずっと来たし、これからもそれは変わらないと思う。。。けれど、重要なのは
「セクシュアルマイノリティという立場をどう捉えていくか」
という部分。。。自分のロールモデルになる人を探しているんですね。。
ヘテロの子供が「○○さんみたいになりたい」と言うのと同じ、なにかしらアイドルが欲しいんです。。自分の。セクシュアリティを挿げ替えなくても、発言を読み替えなくてもそのまま受け入れられるヒーローが欲しい。
というわけで、ウーピー・ゴールドバーグ。
http://www.afterellen.com/People/whoopi.html
このサイトによれば、彼女はアリス・ウォーカー作「カラー・パープル」の映画化で主人公セリーを演じて有名になり、その後もレズビアンの役を、「ボーイズ・オン・ザ・サイド」のジャズシンガー、「ディープエンド・オブ・オーシャン」の探偵でそれぞれ演じ、またプロデュースした映画「What Makes a Family」ではブルックシールズをレズビアンマザーの役に割り当てました。
また、スター・トレックに出演した際には、同性愛嫌悪的な台詞を言うことを拒否したとの逸話もあります。
私が彼女を初めて見たのは「カラー・パープル」。
ところがどっこい。この映画を見ても私は「セリーはレズビアンだ」ということさえ気づかないなんとも曖昧な演出で、後ほど原作を読んで呆然としました。映画はあまりにも淡く、優しいノスタルジーで塗りつぶされている。
これが原作のアリス・ウォーカーと監督スティーブン・スピルバーグの置かれた社会的立場の違いというものだろうと意地悪に考えました。
そんなわけで、ウーピーがビアン・バイなのではという期待(笑)が沸き起こったのは、「ボーイズ・オン・ザ・サイド」でした。
この映画でウーピー演じるジャズシンガーは、旅の道連れに初対面のカチカチの女の子(メアリー・ルイーズ・パーカー)を選んでしまい、苦労の末友人(ドリューバリモア)の事件に巻き込まれながらやがて旅がそのまま人生の終の棲家へと流れてゆく。。。ある意味ロードムービーのような映画です。
カーペンターズを嫌うウーピーが、惚れてしまった相手(メアリー・ルイーズ・パーカー)にもらったピアノでぽつんと「Close to You」を弾くシーンは、片思いの経験がある人ならきっと誰もが胸に迫ります。。
たったこれ一作で、私の中では「ウーピー・ゴールドバーグ=レズビアン」という固定観念がかっちりとはまってしまったのでした。
それゆえに、彼女のその後のポリティカルな動きや情報を得ても、ゲイ寄りの発言が続いても不思議はなかったのですが、
「じゃあ、本当にビアン・バイなの?」
という疑問については確認しないまま。
それが、このところの「ビアンのアイコン=アイドルが欲しい!」という欲求により、あれやこれや調べている間にひっかかったのが上の記事なわけです。
この記事の中でも、ウーピーはずっとゲイコミュニティ寄りの発言を繰り返していたし、彼女が公式にカムアウトしても対してニュースとは見られなかったと書かれています。
彼女のカムアウトは、2002年レズビアン・ゲイ・トランスジェンダープライドアワードでのこと。
"There was a time I played on both sides of the street. Now I just go straight down the middle of the street."
「両サイドそれぞれの役を演じてきたこともあった。今、私はその真ん中に立とうと思う」
バイセクシャル宣言です。
彼女のカムアウトは上の通りさほど大きなニュースとしては取り上げられず、ごくさらりと流されてしまったようです。けれど、この記事のライターは彼女がカムアウトしたことによって、彼女がなぜ今までゲイ寄りの発言をしてきたか、なぜレズビアン・バイセクシャルの役をすすんで演じてきたのかという疑問に対して明白な答えを提供したと指摘します。
カムアウトしているかいないかで、発言の意味が変わるのは変な話ですが、生き方に触れる場合は別です。
隠すことに意味があるなら、語ることにはそれ以上の意味があると私は思いうのです。。
whoopi_bibian
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