最近トーベヤンソンのことを知って、何がショックだったってなにより
「知らなかったこと」
なんだよね。
こんなにも有名な人がレズビアンであったこと。
愛する女性とフィンランドで暮らしていたこと。
孤独を愛していたのではなく、愛する女性との生活を公にしなかったために、勝手にマスコミ(特にヨーロッパ、日本)によって「結婚していない=孤独な女性」というイメージを植えつけられただけだったという事実。
この事実が私を打ちのめした。
声を挙げなければ、無視される。
私がここで幸せに、ヨルと暮らしているという静かな事実は、誰も知らない過去となる。
私は、ヨルは、一人で一生暮らした寂しい人となる。。。
母にカムアウトしたときにまっさきに言われた言葉、
「子供がいないのは寂しいわよ」
同じように私が女性を愛する女性だと知ったある知人に言われた言葉
「一生結婚しないの?寂しくない?」
こういう言葉を裏づけしてしまうような小説のような気がするんだよね。。今の中山可穂の小説。ついつい読んでしまう、ついついはまってしまう、でも、読みながら必死で追いかけているうちに最後になってガックンとなる。。ヨルも言ってましたが。。
そういうのがちと悲しいかなあ。。
唯一の例外が、「サグラダ・ファミリア」
あれはどこかほんのり明るい新しい家族の匂いがする。。。でも、そこにはビアンカップルはいない。
きっと中山可穂自身に、幸せな女性同士カップルの未来というビジョンを描くことができないんだよね。。なんて勝手な想像。それこそ作品と作家をごっちゃにするなと天の声が聞こえそうだ(笑)。
それこそ、人にとって幻でも私にとっての現実をきっちり見据えて生きていきたい。
でも、できれば人にとっても私の現実があまりにも夢幻に対象になってほしくはない。。というのが今の私の心境。。
shiawaseni_ikite
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