なんとなく花の香りを付けるのに抵抗があってパチュリのオイルを付けたら物凄く薬臭く感じる。そういう体調なんだろうとも思いつつ、電車に揺られる朝である。いやぁ。臭いわぁ。
スポーツクラブといふものに入会いたしましたよ。人生二度めのことですが、前回はなんととうとう一度も行かずにやめました。通いもしないスポーツクラブの会費を一年間払い続けたあたし、どんだけ金持ちだったの?と疑う様なエピソードです。いえ、ただの異常な精神状態だっただけです。
で、今のあたしは入ったからには目一杯活用するよと鼻息も荒い。痩せたいというより健康維持です。春の検診で乳腺症を指摘されたので運動で解して癌のリスクを避けたいし、コレステロールもちと気になる。というわけでしばらく集中的に通って運動を習慣にしようと思います。というほど簡単ではないのは承知のうえ。なぜならあたしの人生において運動が日常的だった時期は幼児期まで遡らねばなりません。というわけで、一大決心。頑張ります。
で、タイトルは愛も変わらず(誤字に非ず)小沢健二君な訳ですが、あたしの現在の状況自体はタイトルとはちとばかし遠いカンジです。いえ、不幸な訳でも退屈している訳でも禿げるほど悩んでいるわけでもないのですが、一言でいうなら、何か見えない物に打ちのめされてるという感覚でいます。これは紛れもなく数ヶ月前に受けた打撃の尾っぽみたいなものですが、少しずつながら考えない時間というものが増えてきていて、先週はずうっと頭を離れなかったのが、今週は他のことを考えている時間が次第に増えて、おそらく来週は時間が逆転するのであろうなぁと思ったりしています。そうして来月くらいには、きっかけさえ無ければ忘れているだろうと。
未だにウダウダ言っていることが殆どの人には理解不能であろうということを自覚してはいます。だから『これはカウンセリングを受けるべきレベルなのではないか』と、不安を覚えたりするのだけれど、どうやら少しずつそういう大きな波から遠ざかりつつ在る様子。
あたしにとってあの出来事、あの人はいったいどんな人であったのか、素直な気持ちを自問自答してゆけば小さな答えが見えてくるかもしれない。そんなふうに思う今日。室生犀星の『蜜のあはれ』を読んでいます。この老作家と金魚の関係は、物凄く心当たりのある関係性です。自分の中で何を求めているのかという欲望と、本当にあたしに必要なものが相反することが往々にして起こるのは、あたしが欲望に対してだらしなさ過ぎるせいなのか、それとも中途半端に客観性に憧れを抱いているせいなのか。きっと両方なんだろうなぁ。あたしは真っ赤な金魚になってお気に入りのヒトの前で身勝手に振る舞い、尚且つ一人前の人間として同じ目線にいる事を知っていてほしいらしい。いやはや、そんな相手はありはしないのに。といいながら、金魚鉢を透かして外界をじっと眺める。そういう人間です。あたしは。
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