二日かけてあたしが煮て焼いて作ったお節を、恋人が彩り豊かに重箱に詰める。もう八回目になるこの年中行事をなんとか終えて、テレビの音楽番組に見入って、全国の寺の年越し風景を眺めている間に年が変わる。
朝になって、ささやかにおとそを楽しみ、ぎゅうぎゅうに詰めた重箱が空になるころには恋人はすやすや眠り、猫も日常の穏やかな午睡に身を任せている。
ふと胃をやすめたくて、魔法瓶に手を伸ばした。昨夜煎れた番茶を、氷をいれたグラスに注ぐと、当たり前の番茶が、果実よりもっと鮮烈に赤いことに驚く。芳ばしい香りにときめきながら、疲れた胃が鮮やかな赤の透き通った茶に洗われてゆくのをイメージしてみる。日中立ち通しで一つ一つ煮上げるお節と、丁寧に作られた茶葉で一息に煎れるお茶。どちらも美味しく、どちらも嬉しい。けれど、それぞれの持味の引き出し方はそれぞれ違う、のだな。
そんなことを考える、はつはる。
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