何で読んだか忘れたんだけど、澁澤がリラダンのアダリーのことを引き合いに出してからくり人形と少年愛のつながりを書いてた。人形を通してカラクリ(機械)と少年の男根とを結び付けた話。
おそらくこの話なくして少年を語ることはできないのね。
だから私は澁澤と人形つながりの途中から脱落してしまったんだと思う。私は男根そのものが苦手なのだ(男嫌いとは微妙に違うので男性の方ひかないでおくれ)。
図式が駄目っていうか、そこにあてはまる人形作家であるシモンがちと苦手かも。 澁澤も晩年にかいてたんだけど、段々シモンの人形が芸術というかそういうものを意識していってる。それにつれてやっぱり「ヒトガタ」の面白みって少なくなっていく感じってある気がするのね。中期?のころのメカニカルな少年とかが一番シモンの人形では好き。やっぱり私にとっては人形は「人形」であって芸術というかそれを超えたものに至るのにヒトガタの形式を変えてしまうとちと遠ざかるな。。私は。
shibusawa_dolls
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