いまもなお流れ動くのか、あの感情の世界は。
そこでは思想が、あの魚たちが、黙々と養いを得、漂っている。
そして流れ動き、また癒しの力にも満ちている
というのも愛は癒しなのだから。根なし草の愛さえも。
あなたの顔をこちらに向ければ、なんとそれはわたしの顔!
あの凍てついた怒りこそわたしが探り当てるべきもの----
おお秘めやかに、囲い込まれて、破壊つくされた場!
これこそ感謝すべきメドゥーサの贈りものなのだ。
(メイ・サートン 「ミューズはメドゥーサ The Muse as Medusa」より)
メイ・サートンにとって詩を呼んできてくれるミューズは常に女性だった。
男性を愛したことはあっても、男性にあてて詩を贈ったことはなかったらしい。
彼女はそういう自分の状態を、
「これはまさに神秘です。自分でコントロールできることではないのです」
と語っている。
誰かとの出会いの中に、自分自身の奥にひそむ恐るべき姿をみつけること。
それがあるいはミューズとの出会いなのかもしれない。
こういう感覚、分かる気がする。
私も男性を愛することはあっても、その人と長い時間を過ごすことがあっても、その人のために自分の奥から滲むものを抑えられないというようなことは少ない。
そういう感情は、女性に対してのみ起こる。
恥ずかしいことを思い出してしまったわ。。。そういえば、女性の恋人に詩を書いたことがあった。。
相手に詩をもらって、そのお返しに書いた。渡さなかったけど。
今でも古い手帳の隅っこに残ってる。
今ならば、恋する相手にはメールを送る。
ひたすら送る。
返事がなくても関係ない。
ただただ、言葉を送り続ける。
それが私の中からあふれだすから。
ん?もしやストーカー。。。。???
(「ミセス・スティ-ヴンズは人魚の歌を聞く」 1993年 みすず書房)
みすず書房で出版したメイ・サートンの全シリーズについて解説が書かれている。
懇切丁寧にサートンの世界を楽しむための手引きがなされていて、読む前にのぞいてみることをおすすめ。
sarton_muse
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