以前自分が落ち込んだ時期を抜けそうなころ、オノヨーコの「ただの私」という本を手にとった。 どうして手に取ったのかきっかけを忘れてしまったけれど、おそらくジョンとヨーコに憧れていた青春時代の名残りだろう。
手に取って、読みかけた。
読みかけたけれど、どうしても途中から読み進むことができない。
社会からはみだしてしまい、学校のレールに乗られず。。と書けば聞こえはいいけれど、簡単なこと。挫折を味わっただけの話。
ようやく挫折から這い上がって、社会のルールに戻って行ける精神力を取り戻したかに見えた自分にこの本は危険に映った。
ルールに従うのではなく自分の心の声に耳を傾けること。
それを徹底して行うことを提唱するヨーコの声はとてつもなく力強く、刃物の鋭さで私の奥まで切り込んできた。
心の声を自分で挙げることができず、ただ溢れるにまかせてやがてコントロールを失い。失ったことへの衝撃から自信を亡くし、そうして沈んだ底からようやく少しずつ上を見ることを思い出してきた私を、もう一度地の底へ引きずり込む言葉の数々。
今思えば、あのときの私は本当の意味で修羅場を切り抜けたのではなかった。
ただ、受けた痛手を丸くなってお腹で耐え、傷が癒えるのを待ってよろよろと立ち上がっただけだった。
だから、立ち上がった私は倒れる前の私となにひとつ変わっておらず、だからこそ弱点も同じ。
以前は耐えられた「自由」へのシュプレヒコールにも耐えられないくらいにヨワヨワになってしまっていた「強い」自分。
本当の意味できっとそのころの私に必要な本だったのかもしれない。
先日帰省したとき、物置の奥にしまった段ボールから出てきた。「ただの私」。
あれから十年以上たった今読んだらどう感じるだろうと思い、送る荷物の中に入れた。
昨日、荷物をほどいてみると、本が見当たらない。
「まだあの本を読めるほどに「強く」はなってない」
と小さくおびえる自分の声が聞こえた気がした。
だから、古本屋で注文してみた。
それでも読んでみよう。まだあの本を読むことを怖がっている自分なら、間に合うかもしれない。
(1986年・講談社文庫・小野洋子)
onoyoko_tadanoatashi
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