私はかなり中山可穂ファンだと思う。
新刊は必ず買うし、インタビューもチェックする。
サイン会は行ったらやばそうなので行かないくらいに思い入れがある(?)
そして、買った新刊をヨルと奪い合うように読んで(ニ冊買え)、自分が先に読んでしまったらもう感想いいたくてしょうがないので相手をせかす。
二人読み終わったらその夜は必ず大激論となる。
三日間くらいはひたすら舌戦が繰り広げられる。
ヨルもそうだけど、私もかなーーーりファンだ。
なのに~~なぜ~~~
中山可穂は最近いつも私を裏切るのだろー。。。
なんて斜め下から恨みの目で見上げたりして。
ジゴロ。
タイトルは、おそらく少し古臭い路線を狙ってると思う。
場末のバーがにあう。タバコの匂いと同じように女の匂いをまとったようなdykeをイメージしてるんじゃないかなと。
それは嫌いじゃない。
でもね。
そういう問題じゃないの。
ネタがどうのとか、フラメンコギターがどうのとか、いつものパターンだとかは本当にどうでもいい。
とにかく浅い、浅すぎる。
主人公でさえ、読み終わったらどんな輪郭だったのか思い出せない。
タイトルの短編「ジゴロ」とラストの「上海動物園にて」は相手を鉛筆でスケッチしたような影がおぼろげながら見える。
でも、どれもすでに読んだことがある話に見えてしまう。
新鮮さがないのは何故だろう??
そう考えて思い当たった。
主人公「カイ」とその恋人「メグ」の関係が浮かんでこない。
「カイ」がジゴロを気取ってあちらの女性、こちらの女の子と渡り歩く根拠となるはずの二人の関係が、カイの口からしか語られない。そこにあるべき長い長い歴史と重い恋愛の軌跡がどこを見ても見えない。見ようとしても見えない。
思わずヨルに言ってしまった。
「中山可穂、きっとスランプのとき編集者に「こういう話がうけるからかけ」と言われて仕方なく書いたんだよ」
ファンとしてはそのくらいの理由をつけておかないととても「ファン」を続けられないくらい憤りを感じる一冊。
反論を求む。
といってもきっとこれを好きって人は上読んだら何にも言いたくなくなるよねー。。ごめんなさい。(なぜか謝る)
(2003年2月発行・集英社)
gigolette
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