表題作を含む9つの短編集。
女性を愛する女性を描いたのは表題作の他に三編あるけど、私が好きなのはそれ以外の一編。「また逢えた」と「僕の小さいルナ」。「また逢えた」は相手の何をしることもなく、部屋で愛し合うだけでつながっている恋人同士の話。
「僕の小さいルナ」は、若い夫婦と、小さな娘の日常を淡々と描く小編。
どちらもやまじえびね独特の乾いた空気と風みたいなものの中に、かすかな振動みたいなものを感じる。この「微かな」という部分がキモのように思う。。
表題作を読み返すと、やっぱり辛い。
マゴベエを認めたくない。だって私は「京」なんだもん。「マゴベエ」にはおそらくなれない。
私がもし、男性と結婚することがあるとしたら、それは、恋人よりも何よりも「結婚」という生き方を優先せねばならないという理由があるときだけだ。つまり、その男性を愛している、あるいは何がなんでも子供が欲しい、あるいは。。。?
そう考えてはたと思い当たるのは、
「なんだ。恋愛至上主義ってわけじゃないじゃん」
あらら。。。そうなのよね。
心の感じるままに人を愛してきた報いなのか?、私は自由な恋愛に対して「渇望」がない。
恋愛は自由で当然と思っている。。。ただひとつ、葛藤がおこるのは「常識」と「法律」に対してだけ。
それらに殉じることに疑問を抱かない人に対してだけ。
疑問を抱きつつ、不平を言いつつ、それらを優先する人に対してだけ。
でも、それは「疑問を抱きつつ」「不平を言いつつ」自由な恋愛を選んできた私といかほどの違いがあるというのか。。?
そうして私の堂々回りは、また振り出しにもどる。
「マゴベエ、どうして結婚でなければならないの?」
結局、答えはないんだな。
だって、私はマゴベエではないから。
「京」でも「レイ」でもない私は、今日もこのコミックスを読みながら、甘い紅茶の湯気にほんのり苦味を感じたりするのだ。
(祥伝社・2003年5月刊行)
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