もう十年近くまえ(こんなんばっか(涙))に見た芝居に、「ゴールド家のたそがれ」というものがありました。私が見た芝居の中でも5指に入る印象的な芝居でした。
内容をざっと書くと、どこにでもある幸せそうな現代アメリカの一家庭。
穏やかな理解ある両親と、姉と弟。
弟は家族も含めた周囲すべてにカムアウトしたゲイですが、家族はなんのこだわりもなく弟もその恋人をも受け入れています。
姉は技術者の夫と結婚しており、現在待ちに待った子供を妊娠中。
幸せそのものに見える一家に、あるとき暗い影が忍び寄ります。
科学の進歩により胎児の段階からその子供のありとあらゆる情報が分かる技術を開発した姉の夫が、実験段階のその技術で妻の胎児を調べ、夫婦はその子供がゲイとなることを知ります。
ゲイの弟をなんのこだわりもなく受け入れているはずの姉が、そのときに悩み始めます。
この子を産むべきなのか。。。?
やがて、家族はこのまだ見ぬ子のセクシャリティを巡って崩壊の一途をたどっていくのです。
この芝居が上演された当時は、日本ではゲイブーム?とさえ思えるくらいにメジャーな劇場が次々に同性愛を題材にした芝居を上演していました。それらのどれもがハリウッドやブロードウェイからの輸入もの。「ゲイ」という存在は当時アメリカのchaosなテイストを体現する存在としてとらえられていたように感じます。
日本での「同性愛」が社会に(今以上に)認知されてさえいなかったゆえに、どこか異国の異質の文化を味わうようなおめでたい感覚でこの題材を楽しんでいたのではないでしょうか。。?
そういう中で、私にとってこの芝居は衝撃的でした。
なにしろ、「同性愛者であること」が直接、命の尊厳を脅かすのです。
ヘイトクライム(マイノリティを嫌うことから発する犯罪)の最たるものなのに、人は「親」の権限をもって胎児を葬り去ることを正当化します。これは、
「同性愛者は生きていても幸せにはなれない。」
という宣言です。
家族に暖かく見守られていると信じていた弟は、そのことを知った瞬間、すべての偽善を知ります。
芝居の最後近く、弟が家族に別れを告げ、真実の人生を生きるために一人旅立って行きます。その表情は決して卑屈でも怒りに満ちてもおらず、微かな微笑みさえ浮かべた明るい顔。
自分を全否定した家族に対して決別する、穏やかで誇りに満ちた彼の力強い表情を、十年近くたった今でも思い出します。。
同性愛をファッションやただの恋愛の一形態としてではなく、人生そのものに関る事項として取り上げたこの芝居を、今、「同性愛」がおもちゃのように取り扱われる今、この東京で見てみたいなあと思います。。
gold_tasogare
最近のコメント