継雄は幼いころから同じ夢を見続けている。
自分が女性で、とある男性を捜し求め続ける夢。
勘違いしてはいけない。この話は、トランスセクシャルの話でも、ゲイの話でもない。
なにしろ主人公男性は、「愛する男性と死に別れた女性の生まれ変わり」だと自らを定義しているのだ。
継雄の中で自分は女性であり、恋しい相手は男性。
継雄はれっきとした異性愛者であり、また自分の身体が男性であることに対する葛藤はない。(描かれていない)
ただし、そんな継雄の苦い経験のほとんどは、トランスセクシャルの、ゲイの、レズビアンの経験するそれと変わらない理不尽さをもって彼を苦しめる。
触れた手帳を焼却炉に捨てた、初恋の少年。
悲しみのあまり自殺しようとした継雄を心配しながらも、「お父さんはおまえと将来女の話がしたいぞ」と言い募る父。
初めての女友達を恋人と勘違いして舞い上がる母。
やがて整形によって「生まれ変わりの元の女性」の顔を取り戻した継雄に、家に戻ってくれるなと言い渡す両親。
物語の中、継雄を癒すのは常に女友達であり、初めて出来た男性の友達であり、決して家族ではありえない。
継雄を心配しつつも行動を制限しない両親は、おそらくリベラルかつ理解ある両親だろう。
自殺騒動から自らの苦しみを両親に知られるところとなった継雄が味わうつかのまの幸せ。
「話すことが全部真実というのは、すごいことだ
解放するというのは、すごいことだ」
この言葉に、マイノリティを自覚する人間のほぼ9割は頷くだろうと思う。
それでも、継雄は両親には安住の場所はないと知ってしまう。
彼にとっての「真実」は確実に両親を傷つけるものであることに気づいてゆく。。
自分が両親によって庇護しうる「子供」ではなく、両親を傷つける「他人」であることを自覚してゆくのだ。
そして自らを拒絶し、罵り、嘲る世間の中にあえて飛び出し、そのときどきで避難場所を確保しながら、おそるおそる自分の居場所を探ってゆく。踏みつけられても、叩きのめされても、あきらめることなく。。。
やがて出会う、夢の中のひと。
この男性と出会って初めて、継雄は居場所を得る。
血も繋がらず、今生ではあったことさえない男性に、追い求めた居場所を見つける。
これは、究極の人生探し。
決して血のつながりでは説明できない、世界にひとつしかない自分の、あるべき場所をただひとりで捜し求める物語。
だから、この話はやっぱり
「トランスセクシャルの、ゲイの、レズビアンの、ヘテロセクシャルの」
物語。
それで正しいのだと思う。
そうして自分の居場所を見つけて初めて、人は次の人生の幕をあげることができるのだ。
継雄のように。
(白泉社文庫・「つるばらつるばら」収録)
tsurubara_tsurubara
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