人生最大級の勇気をふりしぼって告白すると、私はうそつきだ。
それも友人や家族に対してではなく、恋人に対してのみ、重大なうそをつく。
社交辞令や都合上必要なうそではなく、他人からみればおそらくまったく不要な、けれど私にとっては機密事項に属するきわめて重大なうそである。
ムードに流されて、といったよくある罪のないうそではない。
綿密に計画をたて、相手をだますために巧妙に作り上げたうそである。
それがうそであることを万が一相手に知れたら私は詐欺罪に値するくらいに重い、深い罪。
なぜそんなうそをつくのか、理由を考えてみる。
虚勢のため。
格好つけのため。
存在理由のため。
気を引くため。
よくよく考えてみると、全部ちがう。
自分の名誉のため。
相手の名誉のため。
名誉。
このひとことに尽きる。
この世のうそは、すべて名誉のため。
恋人との間に必要な名誉とはなにか。
なぜ家族や友人には不要で、恋人に対しては必要なのか。
トーベ・ヤンソンの物語「誠実な詐欺師」は、真面目でまっすぐな女性カトリが弟のために、裕福な雇い主アンナのお金を掠め取ってゆく話。それも、彼女の考える「正当な」方法で。
それは普通に思いつくような「正当な理由付け」などではなく、きわめて公明正大、数字をまっとうにアンナに見せて、これこれこれだけのパーセンテージをもらうと宣言しての行為だ。つまり、カトリが雇い主アンナの経理を預かるうえでのごくあたりまえの報酬として。
この行為のどこが「詐欺」なのか。
トーベヤンソンは、この「正当な行為」にともなう心理を、最小限まで切り落とされた表現の中で許しうる最大限の丁寧な描写で次第に顕わにしてゆく。
いったいどこに、そこまでして守りたいカトリの名誉があったのか。
それがどこで傷つけられ、どこで失われたのか。
カトリはもううそをつけない。
私ももう、うそをつかない。
いつからうそをつかなくなったのかは、名誉にかけて言わないことにする。
五年前なのか、五日前なのか。
私の名誉なのか。
だれの名誉なのか。
その名誉がどこにあったのか、今どこにあるのか、ただいま、探求中。
(トーベ・ヤンソン・コレクション2「誠実な詐欺師」・1995年刊・筑摩書房)
tove_seijitsu
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