台風がどどどどと押し寄せています。野分(台風)が秋の風物詩なら、もう三ヶ月くらいずっと秋。
いつになったら穏やかな実りの秋になるだろう。ここ数日大自然のオマケ台風の影響(汗)で、島暮らしの記録を読み返しています。夕べ二回目を読みきって、今三回目(笑)。本当に良い本です。
自然を必要とする都会の芸術家。それがトーベとトゥーリッキの現実の姿だったと思う。ある意味「自然とともに暮す」ことは、芸術のために、つまりトーベとトゥーリッキについては生きるために必要なこと。けれどそれは、漁師が魚を獲ったり、百姓が野菜を収穫することとは似て非なることとなる。それは、魚を獲るのに必要な網であったり、畑を耕すのに使う鋤であったりする。必要だけれど、生活そのもの、とは少し違う。
最近ずっと考えていること。自分に本当に必要なものは何なのか。どう生きてゆきたいのか。なにを最優先すべきなのか。
島暮らしの記録の最後、島暮らしを断念する決心をするトーベとトゥーリッキ。理由は、
「海が怖くなったから」
もっとも愛した、もっとも安心できた場所が「怖くなった」ということに、どれほどの衝撃を受けただろう。そこを引かねばならない、必要であった環境から自分が拒否されたと感じたことに、どれほどの絶望を感じたろう。都会で生きて死ぬことを決意したトーベとトゥーリッキはそれでも決して諦めない。
なにしろトーベは、島暮らしを断念してしばらくは島のことを思い出すことさえ、島の話題を口にすることさえ避けたというほど。諦めていたらそんなふうにはならない。懐古に浸って、若かりし日に思いを馳せるだろう。数年たって後、トーベとトゥーリッキは二人で「島暮らしの記録」をまとめ、発表する。30年近く二人の心の糧となった島暮らしに、二人は自分たちなりの「収穫物」を捧げて別れを告げたのだと私は思う。どれほど二人が島暮らしを愛したか、島が二人の人生にくれたものはなんであったか。
それは、現在先進国でブームのスローライフなどという薄っぺらいものでは断じて、ない。生きること、表現すること、愛すること、自然をいつくしむこと。すべてを豊かに充実させるために必要な日々であったと、トーベの(邦訳されている)小説全作品を読んで、そう思える。自然をなつかしみ、子供時代を思い、大人の都会人である自分を受け入れ、やがて人生の終章へと自ら調えてゆく。再度、考えたい。
何が私に必要なのか。
何が私を豊かにしてくれるのか。
一生、考えてゆく。
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