「82歳の日記」の最後を読み終えました。
静かに波が寄せては返すような、本当になんということはない日常を記した日記。
日記を書き終えた一年後に亡くなっていることを考えても、死への時間を数え始めていたことは間違いない。
日記の端々にも彼女が少しずつ身体に不自由を感じ始めていることが伺える。
70才で大きな心臓発作に襲われてから十年。
爆弾を抱えた気持ちであったであろうことは想像に難くない。
それでも80を超える彼女の日々は、小さな日常への挑戦に満ち溢れている。
庭の花を切ってくること。
美味しいご飯を作ること。
メイを訪れる親しい友人たちのために、あるいはメイ自身のために行う、ほんの少しの冒険を丁寧に綴っている。さしたる事件ではなくとも、ひとつひとつの出来事が、彼女の日常を作り上げて82歳を彩る。
彼女を取り巻く人々が、メイをどれほど大事に扱っていたか、どれほど篤い友情に囲まれていたかが見え隠れする。
年下の友人の助けを借り、猫を愛し、さまざまな人々とのかかわりの中で自ら「独り暮らし」を全うした驚くべき人。
ひとつ心底共感したささやかなバレンタインのエピソード。
バレンタインのカードを親しい人たちへ贈ることを楽しみとしていたサートンが、店でカードを選ぼうとしたときのこと。店に置かれているカードにはみな、
「私の妻へ、いとこへ、名づけ子へ、夫へ」
というような世間の枠組みに従った言葉のみが書かれていて、辟易している。
『人と人の関係がそういうかたちで定義づけられてしまっている』
と嘆く彼女の言葉に、全くだとうなづく。
「レズビアン」「バイセクシュアル」「独身主義」「非婚」等々、どのことばもあてはまらないのにどれかに自分を当てはめないと人に説明できないことに日々もがく身としては、本当にプレーンな状態で人に見てもらえる機会などあるんだろうかと時々絶望的な気分になるから。
「夢見つつ深く植えよ」や「独り居の日記」のような思考のキレは少しなりを潜めてはいても、やはりメイ・サートンは最後までメイ・サートンであったのだと、心を温められるようなそんな一冊でした。
今日のお出かけ。
ちょっとギャラリーを覗いて、帰り道でふと見かけた看板につられて裏道の小さなエスニック系カフェ?へ。
ランチタイムはずいぶん過ぎているのに狭い店内にけっこういっぱいの人が入ってる。席がないかなと思っていると、お店の人が「二階があります」と。鍵を持って裏庭からとんとん外階段を上がって案内してくれた二階はどう見ても普通の民家の二階。
通りに面したテーブルひとつ。窓にはすだれがかかって、向かいの民家の窓辺ではおじさんがひげをそっている。
とっても奇妙な感じだったけど、二階には誰も他の客はいなくて、完全に二人きりのお忍び状態(笑)。
タイ風のランチも美味しくて、思わぬ散歩先の拾いモノをした幸せ気分でした。
メイ・サートンも読み終えたし、うーん。満足な日曜日でした♪
82sai_nikki_sarton
最近のコメント