オスカー・ワイルドの名作。
「幸福の王子」
私がなぜこの作品を名作と思うかは、おそらく世間一般とは異なる理由による。
結局ワイルドは自分の愛を神様(=世の中)にも認めて欲しかったんじゃないかな。。
つばめと王子の愛。
きっと世間的には「偏った解釈」と言われると思う。
私は昔いわゆる「やおい」同人誌で幸福の王子を「あれはつばめと王子の愛の話なのよーーー」と書いてあるのを見て、ぞっとした。(←もとやおい読者(自滅))
そうして書かれていることは、イコール「パロディ」だということが大前提の話だから。
ああして「やおい」少女たちが「あれは王子とつばめの愛の話」と叫ぶことで、世間は
「そういう考えをするのはやおい少女の世迷言だ」
と考えるようになってる。。。。という仕組み。
実際やおい少女たちはゲイの恋愛を食い物にしている。。。
やおい同人誌がマーケットを席巻することにより、世間の人たちが「ゲイ=やおい」だと勘違いしてゆく。。。おそろしきメディアの世界。。
それと似たことが、ワイルドの周辺でも起こったと思う。結局当時の英国で同性愛が犯罪とされたのは、レッテルをはり罰則を設けることで表に出てくることに対する抑制力を働かせようとした部分も大きいと思う(歴史に詳しくないのでいい加減な解釈でごめんなさい)。
だから、どんな風に描いても「同性愛」を全面に出せば作品は封印されただろうし、本来なら王子とつばめの口付けだけでも危険だったんじゃないかなあ。。。逆にいうと、タブーだったから同性愛色よりも教訓?宗教?風刺?めいた童話の一面が強調されて、世界中で有名になった。
でも、人々が本当にこの物語を愛した理由は、底に流れるつばめと王子という人間でさえない二人(?)の愛の普遍性ゆえだと思う。。
いつの世も変わらない政治の腐敗、民衆の悩み、愛の美しさを非常にうまく絡み合わせてあるのに、ものすごーーーく単純で誰にでも触れるなにかがある物語。
ワイルドって確信犯だねえー。。。
というわけで、最後はやっぱり私も蛇足かなあとは思うんだけど、現代よりもはるかに縛りの大きかった時代への、ワイルドのせめてもの抵抗と、それを隠すための風刺をこめたものなんだとも思えるのでした。。
結果として、同性愛を隠すことでこの物語は現代のヤオイ少女たちのような当時の興味津々の世間から作品を守ることができた。
深読みしすぎ。。?
でも、この物語が「自己犠牲」ではなくて(ヨル、自己犠牲してるのは突っ立ったまま命令してる王子じゃなくて、南へ行きたいのに使い走りさせられるツバメと捉えるのが一般的でしょー(爆))、ツバメと王子の愛の物語だと考えているのは私も同様であります。。
宗教と政治への風刺を隠れ蓑にし、ツバメと王子という人間と離れたキャラクターを使って、同性愛もほかの愛と同様に普遍であることを世界に広めようとした物語であるというのが私のうがった解釈(笑)であります。ワイルド偉い!
注:「やおい」とは、漫画や小説の男性キャラクターを意味も無く同性愛者に見立ててカップルを作って楽しむジャンルのことです。小説も漫画もあって、主に10代から20代の女性たちの間で一大マーケットを展開し、商業誌にも進出していました(今は知りませぬ。。。)
wilde_happy_prince
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