トーベ・ヤンソン「聴く女」続けて読んでます。。
今日読んだ「灰色の繻子」。。。主人公が妙に他の短編と比べて「立って」いる気がして、ちょっとドキドキ?しながら読み進んで気づいた。
「誠実な詐欺師」のカトリと似ている。。もしかして習作かなと。。
またまたネタばれですので要注意。。
人の顔を見ると、その人の死が迫っていることを知り、しかもそれを相手に告げずにはいられない女性。黙っていればいいのに、内なる声がそれを許さない。
この女性は表情に乏しく、周囲には恐れられているが本人が怖い人というわけではない。ただ人を寄せ付けない雰囲気を持っている。
カトリと彼女に共通する雰囲気。
それはなんだったのか。。
比べて読めば、それはあるいは「誠実な仕事」であったのかもしれない。。
よく世の中で言う、
「真実はひとつとは限らない」
という文句。どんな場合でも世の中のトラブルを回避するのに役立つ言葉。
でも、トーベ・ヤンソンにとってはそれは違ったのかもしれない。。真実はたったひとつ、文字通り唯一無二で、それを全うしない人間は「不誠実」だと考えたのかもしれない。
アンナのために金銭のやりとりを見張り、じわじわとアンナの生活を計算で取り囲んでゆくカトリ。
自らの信じるところに従って見事に針と糸を使い衣装に芸術を施してゆく刺繍女。
二人とも、自らの仕事をただひとつ見据えて、日々を重ねてゆく。
二人とも、ひとつの秘密を抱えている。
カトリはアンナへの裏切り。
刺繍女は自らの予知力。
物語の終わり、女は死を見る力とともに、刺繍というたったひとつの天から授かった能力をも失う。
誠実な仕事と誠実な心。。どちらかを選ぶことは決してできないというトーベの理念なのか。。
能力は選んで得られるものではなく、また人にとってうれしいものばかりでもない。ひとつを選んでもうひとつを切り捨てることは、おそらくその人のすべてを切り捨てるということなのかもしれない。。
失ったものと比べて、新しい何かを女は得られたのか。。
ここに、もうひとりのカトリの物語が横たわる気がする。。
haiiro_shusu
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