またまた他人にはどうでもいい拘り周期(苦笑)
ジブリの「猫の恩返し」をテレビでぼーっと見ていたら、過去のジブリの短編作品とかいうのをいくつかやってました。
その中に、CHAGE&ASUKAの唄のプロモビデオっぽい作品があったんだけど、その内容になんだか久しぶりに感じた。
「キモワル~~~~~~イ」
ぽい感覚。なんなんだろうこれは・・・と胸ざわざわ。
内容はどうやら未来っぽく無国籍なジブリお得意の戦闘シーン。山ほど敵を殺す中に、背中に羽の生えた女の子が倒れているのを発見。
なぜかその女の子だけを主人公?らしき青年とその悪友が助け出す。
結局その女の子は敵である主人公たちによって命を助けられ(そのための戦いでも多くの人々が死んでいる)、再び空に舞うというイメージなのだけれど、その彼女が空を舞うシーンが・・・・なんとも気持ち悪いのだ。
戦闘服のような姿の青年二人がのどかな田舎道を車でスピードをあげてゆく。
二人のうちの一人が少女の手を握りつつ、空へと身体を浮かせるのを手伝う。
やがて彼女の羽が羽ばたき、笑顔になり、手を握っていた青年は彼女の手のひらに気障っぽくふざけながら口づけ、少女は自由に空へと羽ばたいてゆく・・・。
なんといえばいいのか・・・
たったいま敵と戦って戦闘機を打ち落としてきた戦闘服姿の青年ふたりが、にこにこと無邪気に羽の生えた少女を空へと放つ。
この演出に、カップ○ードルのCMで中近東の少年少女たち(もちろん戦地の子供たちを連想させようという意図は見え見え)の笑顔を映して「NO BORDER」とコピーをつけるのと似た無神経さを感じてしまうのは私が過敏なだけではないと思う。
この映像を見たあとで(録画なので本当に見たのやら不明だが)アイドルが、
「感動的ですよね~」
とうるうる目をしていたのに「マジですか?」とアゴが落ちそうになる。
オンナが天使たるために、オトコが戦う。
オトコが英雄たるために、オンナが殺される。
それを微笑みとジョークと気障さで誤魔化す。
天使がオトコなのかオンナなのか、そんなことはどうでもいい。
そういえばトーベ・ヤンソンの「少女ソフィアの夏」で、主人公ソフィアがおばあちゃんと天使の性別をどうやって見分けるかを論じている。ソフィアは言う。
「そんなの簡単よ。天使が飛んでいるときに下を覗いて、ズボンをはいているかどうか見ればいいの」
その程度のイイカゲンさが天使の性別。
あそこまで迷い無く、か弱く美しい存在として、守るべきモノとして「少女」を描き続ける・・・その対極には「戦い」、そして守る存在としての「少年」がある。
一人の少女を守るために、百人を殺す青年たちは、果たして英雄なんだろうか・・?
異論はあると承知しているけれど、その議論する余地さえない象徴性を、羽ばたく少女に宮崎駿は与えてしまっている。
私が感じた「気持ちの悪さ」は吐き気にまでレベルアップ・・・
女神に祭り上げられた「少女」の象徴が翼になるのなら、いっそ手の届かないところへ飛んで行ってしまえ。
tsubasa_jibli
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