ヤンソンが女性を愛する女性であることを知ったのは一年すこし前の個展の写真を見て。
なによりも明確にその写真には、ヤンソンの生き方が見えていた。
「見た目でセクシュアリティはわからない」
という人と、
「ぱっと見ればビアンかどうかはわかる」
という人といるけど、私はケースバイケースと思う。
ひとついえるのは、その人の外見はその人の内面と同じくらい大事な、その人の生き方をあらわす鏡であること。
だからといって、「だったら外見も磨かないと」というのはまったく本末転倒。にじむものが大事なのであって、意識的に「磨きあげた」外見は単に「こう見せたい」という一面を表すに過ぎない。(それも大事な部分という人もいるかもしれないけれど)
ヤンソンの場合、私と恋人が彼女は女性を愛する女性であると気づいたのは、アトリエでの写真。
広々とした心地よさげなアトリエに、すっと立っている女性。
すっきりと刈った砂色の髪を丁寧に撫で付け、皺ひとつない真っ白なシャツとパンツ姿。
なによりそのくつろいだ表情に浮かぶ、厳しい視線。
誰にこびるでもない、自分の持つ国の王様たる、背の延びた、けれど突っ張っていない空気。
見た瞬間に、腑に落ちた。
ジェンダーの幻から自由な人の空気を感じた。
こんな風に書くと、
「じゃあ、異性愛者、結婚した人はジェンダーから自由にはなれないの?」
「ジェンダーから自由なのが良いことなの?」
という詰問に合いそうだけれど、必ずしもそうはいってません。
ただ、誰かの「妻」でありつつ一人の人間として人生を全うすることは、ヤンソンの世代ではとても難しかっただろうと感じるとだけ書いておきます。
とにかく、私は写真を一目見て、「ああこの人は女性を愛する人なんだ」と知ったし、隣で写真を見ていた恋人も同じことを感じたようだし、実際そうであった(当人は亡くなっているので厳密にはわからないけれど、周囲の証言やポストムーミン(ムーミン以降の)作品を読む限り)。
その確信が、けれど一年を経て揺らいだ。
必死で作品を読み解き、解説やインタビューをかき集め、webでありとあらゆる情報を探し回って、得た確信が、どんどん揺らいでゆく。
なぜなのか。
それは、日本ではヤンソンはあくまで独身を通した「孤独を愛する」作家であり、レズビアンの「レ」の字もどの文献を探しても見当たらない。
たった一つごくごく控えめな記述を挙げるとすれば、「彫刻家の娘」の解説で、ヤンソンの翻訳を数多く手がけてヤンソンの信頼も厚かった冨原眞弓が
「ムーミンが冬におしゃまさんという人に出会って道が開けたように、トーベ・ヤンソンもまたそういう人に出会ったようです」
というような一文がある。(手元にないので大意)
作家のプライバシーを探るのは、その人のセクシュアリティがなんであれ作品とは無関係なことだと承知している。
けれど、ヤンソンの場合、自身は自国の首相が主宰したパーティにパートナーのトゥーリッキを連れて行ってマスコミで話題になるくらいにオープンにしていた。
なのに、日本(あるいは英国)では、ムーミンシリーズの一冊に「ヤンソンさんは夏の間、無人島に一人で過ごしている」という「嘘」が書かれるほどに隠蔽されている。
実際は26年間の間ずっと無人島にはトゥーリッキを伴っていたのに。
なぜこんなにヤンソンのセクシュアリティにこだわるのか。
彼女がただ非婚者で、孤独に死んだ人だとしたら、その作品の価値がなにか変化するのか。
おそらく何も変化はない。
けれど、私自身をここまでこだわらせるのは、紛れもない、上にかかれたような「隠蔽」に対する憤り。
これだけあれこれ調べて納得したはずの私が、一年の間にどんどん記憶をあいまいにさせてゆき、やがて私自身、
「レズビアン・バイセクシャルであってほしいと願っただけで、実際は違ったのではないか。トゥーリッキは親友であって恋人ではなかったのではないか」
と思い始めるのだ。調べようともしない人たちにとっては、ないも同然の事実だとしても仕方あるまい。
私はいやだ、いやなの。
私が誰かを愛したという事実は、私一人、そして恋人が抱えていてくれればいいだけの記憶かもしれない。
でも、その事実が、
「親友同士だった」
というふうに捻じ曲げられること。
わけのわからない力によって封じられ、違う形へと変えられて記憶されてしまうこと。
その怖さを、ヤンソンとトゥーリッキに重ね合わせてしまう。
お二人にとってはさぞ迷惑な話。
どこかの国の首相が、
「わが国には同性愛者はいない」
と断言したのを新聞で読んだことがある。
「いないものとして扱われること」
は立派な弾圧だと感じる。
私が
「トーベ・ヤンソンにはトゥーリッキ・ピエティラという恋人がいた」
と「知っている」ことと、「信じているだけ」ということには、天と地ほどの開きがある。
誰かに、
「それはあなたがそう思っているだけでしょ」
「見た目だけで決め付けただけでしょ」
といわれたとして、今の私には返す言葉もなく、ただ臍をかんでジタバタ暴れるしか道はない。
jansson_kouomou
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