昼過ぎからずっと、アメリカのミニドラマシリーズのDVDを流しっぱなしにして、カッター作業。
60分6話ものの、「Angels in America」。
すでに一回通して見ているけれど、もう一度。手元の作業に集中しながら、流れてくる台詞を台詞だけで聞き拾っていると、逆に鮮明に浮き上がってくるものがある。
80年代只中のニューヨーク。
エイズという天からまるで厄災のように降ってきた病魔に蝕まれはじめたアメリカに、天使はいるのか。
ゲイカップルの片割れがエイズの宣告を受ける。自分の愛する人間が間もなく苦しんで死ぬことを本人に伝えられた恋人が、自らの苦痛に耐えられず病に苦しむ恋人をひとりにして去ってしまう。彼は言う。「僕は自分自身を救いたいんだ」
権力と金にまみれた弁護士が、免疫不全によるカポジ肉腫を知らされて、医者にむかっていう。「エイズは同性愛者がかかる病気だろう、俺は違う。俺は男とやってるだけで、異性愛者だ。俺は肝臓ガンだ」そうしてカルテに肝臓ガンと書かせ、いっぽうでコネだけで手に入る新薬を山のように手に入れる。
敬虔なるモルモン教徒の夫は、同性愛者であることをひたかくしにし、その妻は薬に依存することで何を考えているのか分からない夫への不信感を誤魔化している。
不幸ばかりが押し寄せる人々の間を縫うように、泳ぐようにしなやかに人々を繋いでゆく、ベリーズというゲイの黒人青年。アメリカ社会の最上層に固執する汚れきった「ヘテロセクシャルの」弁護士が、彼から見れば最底辺で生きるゲイの黒人看護士に看取られて、死んでゆく。あとに残るのは役に立たなかった新薬の山。ベリーズはすべてをこっそりとかき集めて、同じ病気で死にかけている、白人の友人を救うために闇に紛れる。
こんな皮肉に溢れるストーリーは実はこの物語の片面でしかない。
なぜなら、この物語の本当の主役は天使であり、死に際にある人間の悪夢に登場する死者であり、あるいはドラッグ依存が見せる幻の世界であり、現実に動くストーリーとは一見なんの関係もない世界なのだ。その世界ではハレルヤとともに聖書のテキストが燃え、先祖の霊が歌い踊り、ベッドの陰に夫がナイフを抱えて潜む。
気付いたら全部見て、さらに最初から見直していた。
延々8時間近く、こたつに伏せてひたすらカッターを動かしながら耳は、ニューヨークの只中で叫ぶ人々の人生を追っている。
暗くなって、そろそろ恋人が帰るころだと知り晩御飯を作り始めて、カッターを握っていた右手が炎症を起こしてうまく包丁も握れなくなっていることに気付く。私の天使はこのあまり鍛えていない右手と、ときどき空っぽになる脳の中にも時に居を移しながら住んでいる。私次第で悪魔にもなることを、よく知っている。私の天使はおそらく炭酸飲料を横にチョコレートを齧りながらマンガを読んでいるだろう。天使は騙せないし、私にふさわしい存在でしかありえない。その限りなく心を許せる相手は、けれど最大のライバル。炎症を起こした右手は一晩眠れば回復するし、混乱した頭は睡眠で新しい夢が古い夢を押し流してゆく。悪夢のような現実にも、現実のような悪夢にも、眠くなるような昼間にも、眠りを受け付けない夜の奥にも、すべて私が生み出しているこの世界のあちらこちらに、私の天使がいる。
最近のコメント