昨日は数週間ぶりの図書館へ。
このところ出かけてばかりだったので、何も無い久しぶりの週末。
基本自分ひとりでと思っていてもつい引きずり出してしまうために、ヨルを疲れさせていたし。
芝居ではすっかり体力を消耗させてしまった。
先日観た芝居「砂漠の音階」は雪の結晶を人工的に作った科学者の話。
結晶がはじめて作り出されたその一日を、丁寧に描いた舞台。
下北沢の由緒ある小さな劇場空間に足を踏み入れると、小さな研究室。
板張りの床が客席へせり出していて、時代がかって飴色のどっしりしたデスクを中心に、アルコールランプの載った机、背の低い戸棚と配置されて、真正面の奥に天井までのびる大きな両開きの窓に、薄く日が差している。
私は人が日常でない言葉をしゃべる舞台が不思議で、でもなんともいえず好きだけれど、その要素の大きなひとつには、舞台美術がある。その空間を見た瞬間に引き込まれてしまうような美術に接するともうそれだけで8割はその舞台に入り込んだようなものだ。映画にはたいしてそれを求めないのに、舞台には大いに求める。わざわざ足を運ぶのは、その異空間をもとめるようなものだ。
「砂漠の音階」の中でその魅惑の研究室に私をいざなってくれたのは、津島さんという名前の女性。
主役である研究者を秘書として支えてなにくれとなく研究室のことに注意を払う、典型的な縁の下の力持ち。あるいは銃後の存在。私はこの手の女性の役割が本来もっとも苦手で、その立場を目にすると痛くて思わず目をそむけてしまうくらいにタブー領域に属する。なのに、この津島さんからはついつい目が離せず、どうしても観てしまうし、考えてしまうし、気づくと共感さえしている。いわゆる「けなげ」とはかなりかけ離れたキャラクター作りで、滑稽にうつるような演技をしているせいもあるけれど、なによりこの津島さんの顔がいい。美人というのではなく、むしろ印象に残るくらいに強烈に大きな瞳に独特の表情を漂わせる、とても特徴のある顔立ち。背はとても低くて(140センチないらしい)、けれど存在感は一級品だ。
当時の男女関係はそれこそ大正デモクラシーなんてものもすでに遠く夢と去って、女性は男性を支えるという「本来の」仕事に縛り付けられていただろうし、そこから抜け出すという発想さえもてないでいただろう。そういう中で足掻いて立ち上がろうとするのが、研究室を訪ねてくる女性研究者(の卵)。彼女の割り切ろうとして割り切れない、でもやっぱり割り切るしかないようなきっぱりした表情も良いのだけれど、やはり私は津島さんのこの、生きることを、働くことを、立場に関係なく楽しんでいる表情がいい。そういう中で思う相手に思われず、望まれた相手に沿っていく、おそらく幼いころから培われたそういう柔軟性の中で幸せを見出してゆく女性の生き方に、微塵も悲壮な空気を漂わせない姿勢のよさに、少し驚いて、かつなにかふわっと納得してしまうものを感じた。
私は(戸籍上)女性と暮らす女性であって、社会においての女性の役割のようなものに敏感にならざるを得ない生活をしている。男性の得られる特権(義務、権利をひっくるめて)をまるで放り出さなければならない生活なのだから、自然とそういう見方を色々な場面でしてしまう。芝居を観ていてもそれはあって、「砂漠の音階」の中でも研究者と、彼女を支える優しい妻のほほえましい関係性に心のどこかで「でも彼女にも彼女の、彼女独自の『生』があるはずだ」と叫びたい心がある。でも、この時代に生きた女性たちのあり方を真っ向から否定するのは、私の足元を崩すようなものだとも思う。私は彼女らを肯定したいし、今の自分も肯定したい。そう思うこと自体、まだ私はごく自然に気持ちを受け入れられていないのだなと思うけれど。。
昨日の図書館で私が次々手にとった本5冊は、すべて女性作家のものだった。無意識に興味のむくままに手にとったのが、全部女性のものだったというのは、私にはかなりショックなことだった。私は男嫌いなのか。おそらくそうなのだ。男という生物学的存在ではなく、ヘテロ男性の背後にありがちな(あくまでありがち、と書いているのは、実際にはそうでない男性だっていることを承知しているから)ヘテロセクシズムにうんざりするから。でも、女性だってそれに毒されている人は山ほどいるし、それは性別やセクシュアリティとは無関係なことは多い。なのに、とりあえず私は女性作家を信じたいと思ってしまうのだ。これはどうしたことか。
私の生まれていなかった時代、私が強い抵抗を覚える男権主義に押しつぶされそうになりながら、一人の人間であろうとした女性たちと、今生きる私。別に今の自分が「虐げられている」とかそういうことが問題なのではない(実際はやっぱり頑張らねばならない男性を気の毒に思うし、同時に虐げられているし、虐げていると実感することが多いけれど)。時代を経てもなお、どこかで女性の歴史と繋がっていたいという想いが私に常に「女性作家」を選ばせるのかもしれない。これからどうやって生きていけばいいのか、そのヒントを求めて。どこまでも。
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