人に対する印象や評価というのは、その人と自分との関係性に負うところが思っていた以上に大きいと感じる今日この頃。
誰からみても一見「いいやつ」「誠実な人間」が、まったく違う「いやなやつ」「不誠実な人間」になるのは、時間的変化でもなんでもない。その人のある側面のみが、私という人間との関わりにおいて大きく押し出された結果にすぎない。
その関係性をじっとりねっとり考えていても、何も答えは見えないから、今はただひたすら流れるままで、いる。
そんな中、にわかに気になり始めた、小説の人物描写。
けれど人は、何かを見るとき、誰かと接するとき、かならずその人なりの視点を持っている。だからこそ一人の人がある人にとっては愛すべき人で、もう一人の人にとっては憎むべき敵になったりする。
だとしたら、神の目で描かれた小説はいったいどの視点から描写されているのだろう。作家は神なのだろうか。そんな視点てありうるの?作家は人なのに、人ではない視点?
100%客観性を保った視点なんてありえるだろうか。
小説作法の基本中の基本なのだろうけれど、どうも気になって仕方が無い。気になると、小説だけではなく、芝居、絵、ありとあらゆる表現に対してその視点が気になってきた。
視「点」というが、その点はつねに移動し続ける。その移動を意識しながら描き続けられるのは小説、音楽、芝居(?)等時間芸術の強みなのかもしれないけれど。ああ、でも、芝居の視点てなに?音楽の視点て??うう。。こんがらがってきた。
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