雨の気配がそこここ漂う、蒸し暑い宵。空は、数万発の花火とそれを全国中継しようとするヘリコプターの合戦の様相。
なんとも不釣合いな光景。
それをはるか仰ぎ見る位置にて観劇。ク・ナウカ恒例の野外である。 ときどき爆音が炸裂したけれど、それに負けない舞台人たち。観客たち。みごとな蓮池を借景に、ガラス張りの上で展開する恋愛劇。男性社会から抜け出ようとする男と、そもそも男性社会によって破壊され尽くした女。どうあっても忠臣たる男を我が胸に取り込みたいマルケ王と、彼からも同一性重視の社会からも抜け出したいトリスタン。もともと男の社会など見もしないイゾルデの果てしなく激しく強い自我。この人でなければ、この人でなければと畳み掛けるように二人はただただ求め合い続ける。
私がこれまで愛した人の数。 恋人がこれまで愛した人の数。 今こうしてガラス張りの上で向かい合う彼と彼女。どれほど足掻いてせいぜい数千年か数万年の人の歴史の中、数十年の命を営んできた私たちの人生、その中でわずか数年をともにした人たちと、いまこの瞬間たまたま隣に並んでいる私たち。なぜ彼らだけが、私たちだけが特別だといえよう。明日あなたと私が離れていても、あるいはあなたと私のどちらかが、並んだ席の三人向こうの誰かと入れ替わっていたとしても、いったいいかほどの影響があるものか。
愛し合い、ののしりあい、睦みあい、やがて別れてゆく。
いや、私たちだけが特別であるわけがない。
それなのに、やはり隣り合っているのはあなたと私なのだ。彼と彼女ではなく、彼と私でもなく、彼女とあなたでもなく、あなたと私なのだ。
舞台の上、あなたがわたしがあなたがわたしがあなたがわたしがと繰り返す台詞を聞いているうちに次第に見えなくなってゆく。トリスタンの境界。イゾルデの境界。いつのまにか彼が私に、私があなたに、あなたが彼女になってゆく。いや、やはり私たちは繋がっているのか。いないのか。
巫女と化したイゾルデは、剣を放って空を睨む。すべての人々の「わたし」と「あなた」が、残らずイゾルデにのりうつるように。執りついて侵食して、やがてひとつになるように。やがて千に飛び散るように。
私はイゾルデになりたい。いやなりたくない。なっているのかもしれない。一生ならないのかもしれない。
すべての負とすべての正の可能性の化身。イゾルデ。
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