吉屋信子のコミュニティに入っているのにぜんぜん話題になってなかったような。知らなかったざんす。すでに初版から半年たっていたとは。うかつ。。
というわけで偶然近所の本屋で見つけたこの本。
ビンボな私がほとんど迷わずすぐさま買ったのは、「ご挨拶」を立ち読みしたせい。そこには当時の出版界に反旗翻す信子の決意が高らかに書かれている。
不思議なタイトルのこの本は、もともと信子30歳そこそこのころ、時は大正末期。「花物語」ですでに押しも押されぬ売れっ子だった信子が、商業主義激しく思ったように物も書けない出版社での仕事の現状に行き詰まりを感じ、悩みぬいて今でいう個人出版に活路を見出す。その集大成が「黒薔薇(くろしょうび)」という月一回発行された個人誌であり、そこには信子が決して広告の力に惑わされる自分の書きたいことのみを書こうという強い思いが反映されていたようす。
問題の個人出版された冊子「黒薔薇」は数年前に復刊されてセットで2万円(涙)で売られていたようですが、未読。ここにまとめられたのは、冊子で連載された小説のみ。連載されていたころのもとのタイトルが「ある愚か者の・・」とあるだけあって、今の時代から見ればかなり重く暗い側面を捉えている。花物語の後日談と取れないでもないような微妙な年齢(数え年で主人公は22歳、相手は19歳)の女性同士の濃密な関係性の揺れを描いていて、そこにはジェンダー意識、フェミニズムへの傾倒(まあ青踏にいた信子ではあるけれど)、さらに今私の周囲では当たり前のように言われるセクシュアルマイノリティの権利についての明確な信子なりの答えが、社会との軋轢の中での心の揺れとともに描かれている。
読んでなんだか呆然としてしまったのは、これが書かれた80年前と今でどれほど状況は変わったのかなあと。。
確かに同性愛者を異常と言い切る人は当時よりは減ったかもしれないけれど、それは単なる言葉狩りに過ぎなくて、多くの「自分(や自分の直接の知人)は無関係」と信じている人の多くはいまだにレズビアンなんて絶滅寸前の希少動物くらいに思っているのではないかしらと思ったり。
隣にいるんだけどね。
現在セクシュアリティを隠さない状態で作家活動をしている作家の数を考えると、「いやー一世紀近くたっても全然かわってませんよ、吉屋さん」と言いたくなります。たかがセクシュアリティ。流行り物でも特殊な純愛でもない扱いのものがもっと読みたいわ。
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