あの公演を見てから二ヶ月半がたとうとしている。
まだ一ヶ月くらい前だろうと思って日記を読み返してみたら、もう二ヵ月半。
てっきりもっと最近だろうと思って何度も見返して見つからず、「消してしまったのかな?」と思ったくらい。
未だに言葉にしきれないあの経験を、大事に胸の奥にしまっている。
二ヵ月半も前だったっけ。。?
昨日見たのは阿部一徳氏の語りおろし。
中野のはずれ、小さなスタジオにひな壇つくって椅子をぽかんと置いて。
パイプ椅子を並べた客席で楽しみにする客たちが見守る中、おやじが管をまいているようなちょっと面白い調子のアコーディオンを横に、ただ、語る阿部氏。
その場の空気を支配する声と表情と、圧倒的な存在感。なのに、終わってみれば私の中に残ったのは、広がるブラックアイドスーザンの野原と、目の前に飛び出してくるような星の散らばる漆黒の空。耳に残る、粉砕機の音。
言葉の海に飲み込まれたのに、残ったのは脳裏にひろがった想像の情景と音。
人の作り出すものって面白いなあ。役者が作り出したものを、私はただただ楽しみ、消化し、いつのまにか自分の脳髄にしみこませている。いったい誰が私の中に影を投げかけたのかさえ忘れても、きっと夕べ私の中に吹いた風と、澄んだ空気、そして降るような星空は忘れない。私が見たわけでもない、あるいは役者自身さえ見たわけでもないかもしれない、想像の世界を、あの瞬間あのスタジオのどこかの空間に存在する想像のスクリーンで共有したのだ。いや、共有したと感じた。それでいい。
あのク・ナウカの「ムネモシュネの贈り物」公演以降、私の頭の中のもやもやは相変わらずもやもやと、形を作るような作らないような曖昧な合体と霧散を繰り返しつつ、人の身体と心とそれが作り出す空気とに纏わりついている。この出来損ないの私の身体を、もっときちんと見て作りたい。この身体から作り出すものを信用するためには、それが必要なのかもしれないとも。
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