高慢と偏見もエマもなかなか面白いのだけれど、マンスフィールドパークには叶わなかった。
たまたま恋人の手術の前日、手術中の気を紛らすのに良い本がないかと近所の本屋をうろうろしていたら見つけた分厚い一冊。オースティン。マンスフィールド・パークは未読だったから、ラッキーとばかりに購入。しかし、いくら分厚いとはいえ文庫本に1500円て、痛いわ。。
手術は3時間弱。恋人のお母さんも到着が遅れたおかげで独りの時間が長く、思ったより集中して読めた。
というより、つい読んでしまったくらいに面白かったのだ。オースティンのストーリーテラーぶりには感動。いや、ただの安っぽいロマンスになりかねない筋書きなのに、ものすごく淡々としていて、ものすごく物見高くて、ものすごく人間味豊かで。驚くのは、この時代のこの階級の女性が描いた物語と思うと驚くくらいに砕けた登場人物の存在を許している。
そして、筋は三文芝居ロマンスなのに、実はオースティンはまったくロマンスには興味が無い。興味があるのは風刺と情景描写。そして筋書きの面白さ。あきれるほどに魅力のない男たちと、男たちの分までページ狭しと?活発に走り回る女性たち。
ああ、こんなに皮肉な目をもったオースティンには当時の結婚は無理だったでしょう。ええ。
おかげで遅れて到着した恋人のお母さん姉妹の、猛烈な結婚談義(恋人のおにーさんが今年結婚するのだ。きょーれつなお嬢様と)にもさほど肩身の狭い思いをすることもなく、かなり客観的な感覚で面白がって対応することができました。ブラボー!オースティン。
そして、デュ・モーリア。「レベッカ」くらいしかちゃんと読んだことはなく、先日友人から情報を得て彼女がビアン(バイ?)だったことを知って興味倍増。書くものでのみ勝負している作家に対して、こういう興味の持ち方は甚だ不謹慎なのだけど、いかんせん「伏せられる」傾向にある指向性ゆえに、顕れたときはその分強く惹かれるというわけで、お目こぼしのほどを。
で、まずは短編集「鳥」を読んでいる。
余談だけれど、ネットで検索していて「レベッカ」がブロンテ「ジェーン・エア」の影響を強く受けていることを知って深く深く納得。私がブロンテを読んだのは小学生のころかと思う。レベッカは中学生になってから読んだように思うけれど、私の中では不思議とこの二作は印象が入り混じり、マンダレー館とマキシムの屋敷が重なってどうしようもなかったから。長年の懸念が解決。
半分くらい読んで、今のところ現在読んでいる「モンテ・ヴェリタ」に夢中。すごい。山ほど邪推ができそうな想像力をかきたてる設定と展開。「写真家」も面白かったのだけれど、ラストが少し説明がされすぎてた。そういう意味では最初の「恋人」のそっけなさがいい。表題作の「鳥」はヒッチコックの映像がかってにぐるぐる回ってしまって一読しただけではまだその作品そのものを味わうことができない。。ちょっと損した気分。
オースティンとデュ・モーリアはイギリスの女性作家で生年がちょうど一世紀ばかりずれている。階級云々は正直私にはわからないのだけれど、デュ・モーリアもさほど悪い暮らしをしていたわけではなさそうだし、作家としての自意識もある程度持っていただろうから、一億総中流意識の現代日本とは違って属する階級によって教育も暮らしも格差がかなり激しいイギリスでは中より上の暮らしをしていたのは間違いない。
デュ・モーリアの時代は日本で言うと、大正デモクラシー?吉屋信子も同世代。そう考えるとますますデュ・モーリアに興味が湧いてくる。
「モンテ・ヴェリタ」。。「ヴェリタ」の語源はラテン語の「真理」だろうか。先が気になるー。。さて、読み続けてみようかな。
最近のコメント