老婆、岩手は糸を繰る。長く尾をひく糸繰り唄を唄いながら、己の情念を、あくまで己の情念を果たすがための生贄を待って。
情念はときに高まり、ときに鎮まり、そのリズムは定まらずつねに乱れ拍子。乱れるのはむしろ、一時も岩手の心を人生を肉体を離れないから。女の心に沿うて揺れる。
情念は日常に宿り日常は人生に宿り人生は情念に宿る。ぐるぐる巡り無限大に膨張してゆく情念の渦から外れているもの。それは政(マツリゴト)と、それに踊らされる男たち。政は謀(ハカリゴト)。女の業と謂われる謀に、政に長けているはずの男たちはおめおめ足をすくわれる。女たちの生きる人生という渦に、男たちは決して馴染まないのだ。政に生きる彼らは国を故郷を人を命を魂を、巨大でちっぽけな地図の上、地球儀の上の駒としか考えないから。その駒ひとつひとつに宿る情念のあろうことを想像だにしないから。
政の駒として斬られ捨てられた女たちは憎悪の塊を愛と信じて孕みつづける。何度腹を切り捌かれ胎児を殺されようと、飽く事無く繰り返す命の営みに自らの情念をこめて、「せめてこの手で抱ける男の子を」と、また自らを欺く存在を後生大事に孕むのだ。
政というちゃちな人生ゲームなしでは生きられぬ、それを失えばたちまち日常まで失ってしまう男たちは、殺すことで女たちを彼女らの人生から引き摺り下ろし、ゲームに取り込む。殺すことでしか取り込むことはできない。殺した駒をゲームのゴール(英霊)としてまつりあげ、地球儀を片手にゲームの終焉を祝う。いや、祝っているのは終焉ではなく、永続だ。常に常に男たちは戦場で再会し、互いを殺しあう。殺しているのは自分自身であることを、正しく彼らは理解しているからこそ、ゲームは続く。永遠に。
矛盾に満ちた女たち亡き後、男どもは乱れたリズムをようよう捨てて、声をあわせて足踏み鳴らし、踊るリズムの裏拍子。
政のボールは頼りなく宙を舞い、舞い踊り、落ちる幕とともに、すべてが終わる。
暗転が謀(ハカリゴト)の終わりならば。今度こそ。本当に。
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