女の身体は丸い。
私が言っているのは精神的なジェンダー。すなわち精神が女でない存在は、その宿る身体もまた丸くはない。見える曲線はよくよくみれば角の集合体だったりするのだ。
人形展会場に入ってひとわたり見て、浮かんだのがその感覚だった。妄想、と呼ぶべきか。中途半端に切断され、ぼろぼろの包帯を傷口にまいた肢体。顔の傷には乱雑なステッチが走り、腹は大きく膨らんで、下腹部にはっきりそれと分かる妊娠線。ほとんどの作品は腕と足のあるべき場所に球体関節がついているだけで、関節の先に繋がるものがない。五体満足のものは数十体あるうちほんの二、三。あとはおびただしい数の奇形や切断や不具の身体が包帯にくるまれ、針と糸で縫い合わされて長いテーブルを埋め尽くす。身体からすべての「先端部分」が去勢されてしまっている。
ほとんどが少女の人形ばかりの中に一体、男性器から放射状に無数の針金が伸びているものが目についた。
瞬間、するすると私の中にこの人形たちが入り込んできた。
針の生えた男性器では睦みあうことはできない。手足のない人形、先端のない男性器、なのに少女は身ごもり、からだの線のすべては丸く丸くなってゆき、臨月を迎えて憂鬱な表情を浮かべる。断絶した関係性。完全に孤立した者達が独りで完成し、完結した女性性を生きている。
首を切られ、舌を出した人形はけれど、限りなく優しく丸い。斬られる痛みを知って、それを決して忘れない。
先端に手足のない、球体関節だけをさらしたその身体は、それがすなわち完成した世界であることを示していた。他人を拒否する必要さえない完全なる孤独。数十体の人形たちの孤独はやさしく折り重なり、ろうそくだけが照らす空間を満たしていた。これが私たちの幸福、と小さく唄いながら。
三浦悦子のサイトはこちら。
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