100日祭を無事終えた。
父の霊は落ち着いたであろうか。
式のごとに次の式事の話を持ち出す母は、どうしても取り残された感覚が強いのだろう。寂しさを紛らすにはまめに連絡を入れて、安心させるしかない。式事がなくとも私が母を忘れたりしないということを分かってもらえればいいのか。しかしあたしは母を忘れる。あたしの生活に紛れて、親のことなど即座に忘れてしまう、薄情な娘なのだから。ではどうすればいいのか。
人は人を忘れて生きてゆく。
父は生きているときは周囲の人にとっても近寄りがたい怖い人間だったということが、今回訪れてくれた客たちの話で伺えた。その印象はおかしいほどにあたし自身の父のイメージと重なる。つまり、父はまったく裏表のない人間だった。そうだ。そういう人だったのだ。
これはあたし自身のセルフイメージと重なる。あたしは父とよく似ているし、母の見栄っ張りも受け継いでいる。つまり、率直で二重性がある。救いようが無いうそつきだということにもなる。
帰京してからずっと、部屋でCATVの海外ドラマばかりを一日中見てすごしていた。ミステリーや医療モノ。自分自身の痛みから遠い話であればあるほどにハマって気が落ち着く。彼岸は9月半ば過ぎ。まだ一月先をじっと見ているばかり。まだはやい。なにをするにも、なにを見送るにも、なにを忘れるにも。早く秋になれ。秋になれ。
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