フランソワ・オゾンの作品。三十分の短編。
こんな愚かしい関係性になってもなお、こういう作品は見れば観るほどに味わい深い。
まず、男が美しい。
ハリウッド映画ではこうはいかない。超美青年の相手なんて、絵に描いたような絶世の美女に落ちる。ブルーノは美しさがすでにどうでもいいほどに美しい。そしてロゼットもまた美しいが、ハリウッド的分かりやすい「客観性」のある美しさではない。徹底的に自己満足的に美しい。顔の両側にたらしたおさげなんて、ダサすぎるってのに、そのダサい姿が強烈に個性。男は無意味に美しく。女はとにかく個性的。素晴らしい。
恋のジレンマがどうのというのは意味の無い解説だし、あたしに映画の解説は無理だからやめておく。
彼の恋愛観なんて最初からどうでもいい。他人のプライドとか、振り回す振り回される、どっちもあたしにはどうでもいい。
ただ愛して愛しぬく、そしてそれがダメになったら嫌いになって憎んで恨んで、忘れてゆく。それだけの話。そこから何か学ぶ??そんなこと渦中に考えられるわけもない。
ブルーノの理想(互いに振り回さない、人生を有効に使いあうことのできる恋愛関係)を、ロゼットは次々とぶち壊してゆく。遅刻魔のロゼットをブルーノは許せず、腹が立ってそれゆえに別れを宣言する。けれど、その宣言こそただの「前座劇」であることに、彼は気づいていたわけ?まあ気づいてはいたでしょうね。
あたしを振り回して傷つけるのが目的だったとしたら、それは果たされたわけだ。
しかし、残念ながらあたしは誰にも弄ばれない。なぜならあたしは主義で誰かを恋したりしないし、プライドで人を傷つけることはしない。あたしは常にあたし自身のためだけに恋し、あるいは愛し、あるいは泣く。
そんなことも知らなかったの?
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