毎日の料理が好きといえるのかどうかは微妙である。
あたしは独りで外食するのも好きだから。
ただし、保存食。これだけは独りだろうが同居人がいようが、作るのが好きなのは間違いない。むしろ同居人がいるのを口実に嬉々として食べるか分からないジャムを作り、飲むかわからない梅酒を仕込む。食べてもらえなくても一向に構わない部分はある。時間をかけて作ることが好きなんだろう。
昨日のご飯は秋刀魚塩焼きにいんげんの茹でたの。味噌汁の茄子を煮ていたら、模様があまりに面白くてパチリ。クリックしておっきな画像でご覧ください。なかなか愉快な茄子模様。食べ物とは思えないパターン。いや、自然物だからこそなのかな。少しイビツな模様。完全に整然とはしていないから、なにか気が抜ける。
晩御飯を食べながらNと、栃折久美子(昨日の日記参照)の本の話をしていた。あたしは今三冊目を読んでいるところだが、最初に読んだ「製本工房から」が一番好きだ。Nは「読んだことがある気がする」とずっと言っていたのだが、確かにNが読んでいないのは不思議なほどストレートにNの趣味と重なる人なのでこれは納得。覚えていないというのはあまり響かなかったということなのかなと話していて、Nが言う。
「おそらく読んだ時はよく分からなかったんだと思う」
人と話をしても、本を読んでも、それがぐっとくるタイミングと相手というのはあって、経験でしか補えない「理解」もある。20歳ではピンとこなかった本が、40歳になって沁み入るというのはよくある話で、その逆もまたしかり。あたしが今読んでいる山田詠美の「放課後の音符」はまだ十代のしっぽを残していた恋愛に幼いあたしが読んだからこれほどに大事な一冊になったのであって、もし今初めて読んだ本なら余計なところが目について気になったことだろう。あの時期に読んだ空気ごと、あたしは山田詠美の青春のエッセンスを味わい血肉としてしまえた。
「製本工房から」に関してNの言った「よくわからなかったんだと思う」はそれでも私にはちょっとした驚きだった。十代のころから人生に対して大人びた理解力を持っていたように感じられるNが、それでもやはり「分からなかった」ということをするりと話すことに、安心感を覚える。と同時に、あたしは一つ年下のこの人に、大人を求めているんだなと感じて、なにやらおかしくなる。恋人を頼っている場合じゃないでしょう、と自分に苦笑いなのだ。
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ちと中途半端ですが、ブログ記事を利用して「雑談室」を作ってみました。
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