父の死について、昔の恋人に報告せねばならない。
今の関係性から言って報告してもしなくてもさほど問題があるとも思えないくらい希薄(つまり、恨みもつらみも愛も執着もなにもない)なのだが、それでも報告すべきと感じるのはやはり彼女があたしにとって当時家族だったし、母にカムアウトしてから初めて連れて行った恋人だったせいというのもある。
食事中に父と兄と大げんかして部屋に逃げたあたしに「放り投げられても困るよ」と本当に困惑して言ってきた彼女。そうだ。やはり、報告すべきだろう。
本当は会って顔を見て報告しようと思ったのだが、メールしてみたら仕事が夜間らしくてどうも時間があいそうもない。会えるまで待つような仲でもないので、メールにすることにした。
帰りの電車の中でずっと文面を考えていた。
さらりと書こうと思ったけれど、結局生前の父との関係性、彼女とのことも絡んできて、どうしてもジメジメと押し寄せてくるものがある。いやでも生前と今のあたしの父への気持ちのあり方の違いを再確認することになって、その原因を自分に尋ねることになる。
あたしは父のことを愛していたとはやはり言えない。
むしろ、愛を求めていた、というべきだろう。
父は戦前気質、大正というより明治の男に近い激しい男尊女卑があって、しかも根っからの軍人。父が現役だった当時、自衛隊では女性自衛官をワッフちゃん(語源は知らない)と呼んではっきりと男性自衛官と区別していた。ワッフちゃんはあくまで男性のサポート、隊のお荷物的存在で、はっきりとあたしにも「お前は絶対自衛隊には入るな」と言っていたほどにきつい不公平な地位に甘んじさせるような環境だった。その気質を家にも持ち込んで、あたしにはまず直接話しかけてこなかったし、話すときは何かあたしが失態をしでかして怒るとき。怒り方も職場で「狂犬」と呼ばれた噛み付くような怒り方で、あたしは毎回おびえて泣いた。母との折り合いもあたしが物心ついたころから良くなく、毎日のように言い争う声が飛び交う中であたしは育った。23で家を出るまで、あたしは父の喚く声に怯える日々だった。怒る以外伝えたいことがある場合は母を経由して話が回ってくる。あたしは何かの間違いで父と二人きりになると、どこかへつれていかれて殺されるのではないかと本気で妄想して怯えるような、そういう父娘関係だった。
だから一生で直接あたしが父に話しかけたのは、ほとんど死の直前の看病のときだけだったと言っても過言ではない。その父も、死の直前まであたしにやってほしいことが伝わらないと全力で手を払いのけて怒りを表す、そんな父だったのだ。
それなのにだ。
今のあたしはことあるごとに、父の臨終の姿を思い浮かべて泣いている。あの強かった父が、誰より頑固で激しかった父が、なんの力も無く、いつも怒鳴りつけた母に手を取られて、息を引き取っていった。最期の十年間は比較的穏やかだったと聞く。あたしは家によりつかなかったけれど、母によれば以前よりはずっと穏やかになって、笑う努力さえしていたらしい(昔は笑うことさえ彼にとっては罪だった)。あたしは父と何を話すこともなく、とうとう自分がなぜ結婚しないのか、なぜ子供を持たないのかを知らぬまま、父は天上の人となった。わかってはもらえなかったろう。話したところで。知らぬことのほうが幸せだったかもしれない。けれど、彼は最期まで母に言っていたらしい。
「なぜあの子は結婚できないんだ?」
違うんだよ、お父さん。確かに結婚はできないけれど、恋人はいるし、いたし、これからも恋はしてゆく。いや、恋はしなくとも常に人を愛してゆく。あたしはあなたが知らなくとも、愛について考える人間になった。あたしの人生はきちんと、あたしとしての人生の形をなしてゆくんだよ。お父さん。けれど父はそれを知らない。もう決して知ることもない。
あたしは心の中の父に語りかける。あたしが昔連れて行った恋人も、その後つれていった今の恋人も、あたしが愛してた、愛している、大事な存在なんだよ。お父さんにはわからないかな。お父さんがお母さんを怒鳴りつけながらも、家の中で必要としていたようなのとは、もしかすると違うかもしれない。似ているかもしれない。あたしにはもうわからないけれど。でも、あたしにとってとても大事な人なんだよ。こういうとき、あたしはあたしの心の形にならないものにむかって語りかけるしかない。それを、その語りかける相手が誰なのかを知るために今あたしは苦しんでいるのかもしれない。
昔の恋人へのメールは、どう始めようか。父が死にました。それだけで伝わるだろうか。いや、伝わるわけもない。伝わるならきっと、別れなかったろう。伝わらないから、あたしはきちんと言葉を尽くして、過去あたしが愛して、今はもう遠い人に向かって、伝わる言葉を放ってゆかねばならない。それがきっとあたしの大事な言葉。伝わらない人に伝えるための、テキスト。
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