セバスチャン・サルガドの写真を見に写真美術館へ。
http://www.syabi.com/details/sarugado.html
あたしはこのカメラマンの展示は初めて見る。実を言えば名前を聞いたことがある程度で(LIFEの写真集は持っているから、それにいくつか写真が載っていたように記憶している)、けれど今回あまりにいろいろなところで名前を聞いて、何か呼ばれたような気持ちになったので足を運んだ。
子供の頭が丸く美しいとか。義足が綺麗だったとか。
そういうことが頭にまず浮かぶ。
写真美術館のある恵比寿ガーデンプレイスの一角は雨のせいもあってかイギリスのヨークの肉屋街の外れにあるパブを思わせる。静かで暗い。賑わいはビルの中、密やかに隠されている。そういった効果を意識されて作られた建物であることを確認する。
そういう完璧なビルの中のギャラリーで、デジタルカメラで撮影され、インクジェットプリンタで印刷されたアフリカの写真を見る。あたしは地下鉄と山手線を乗り継いでやってきた。渋谷では大量の人が電車から吹き出すように降りていって、残された社内はガランドウ。そういう街。この街で、この写真を、こういう形で見ることの意味を考える。
モザンビークの難民たちとあたしはこの地球上の自転を身体で感じ取り、同じ空の下、地続きにつながっている。よく他社を助けねばならない理由として、自分たちの割を食った人々なのだという理屈がある。しかしあたしはそういう風には思えない人間で、この身でその痛みを嘆じとれない、感じとらねばActionを起こす気持ちになれない。
サルガドの写真は美しい。
美しくて、その悲惨さも痛みもすべて美しくて、その美しさの中に平均化されている。美しさでは説明できない何かを感じ取るには、カメラマンの美意識の壁を感じた。むろん悲惨さよりも、その展示の流れで
難民→故郷の穏やかな暮らし→奪われる故郷
という構図から見えてくるものは多々ある。それでも写真の中に感じられるのはひたすら、美しい写真のテクスチャであり、アフリカ女性の肌の美しさであり、あるいは目のはっきりとした白であり、あるいは牛のたてるもうもうとした砂煙のグラデーションであり。あまりに美しくて、見とれてしまうのだ。
改めて見終わってからチラシを読んでみた。あたしにはサルガドの意図が汲み取れていないように思えたからだ。
そこにあった言葉。
「この展覧会は、かつて経済学を専門としていたセバスチャン•サルガドの視点を通して「見捨てられた大陸」と呼ばれるアフリカの現状に迫るものです」
とある。あたしはこれらの写真群を見て、どうしてもその「現状」が過酷とばかりは思い至れず(機銃掃射を避けながら逃げる女性の姿や、大量虐殺の後の写真も含まれていたのに)、印象に残るのは呆然とカメラを見つめる少年の頭の形がとても柔らかく丸かったことや、ディンカ族の家で椅子に腰掛けた青年の誇り高いまなざしとか、あるいは医療センターで世話を受ける幼い少年の左足の義足の金属が鈍く光って綺麗だったことなのだ。
あたしは贅沢品が大好きである。iPhoneも大好きだし、iMacも愛してる。ケーブルテレビも離せない身で、遥か遠い地の食物どころか水さえ口にすることの難しい人々に共感を寄せるには、単純な「論」でははじき飛ばされる。あたし自身の日常の感覚に。
そういった論の弱さ、意思の弱さをカバーするのがおそらくキリスト教教育でもある。
彼らが我のために苦しむ。
自らのために自らの代わりに誰かが苦しんでくれているという思想、いや、信仰。
神のもとに全ての人々が平らかであるという教育なしでは、遠いかの地に思いを馳せて深い同情を寄せるのは難しい。そもそも同情を寄せることさえ相手の誇りに関わるのではないかと、無宗教なあたしは思う。しかしあたしが感じるのはやはり、このサルガドの作品はまごうかたなきキリスト教教育を下敷きにした、「我の代わりに苦しみを引き受けている彼らのために何ができるのか」なのだとあたしは感じる。だからこそ、神の創造物であることを強く意識しているからこそ、彼の写真はどんなアングルも、どんな対象も美しく切り取られているのだとも思う。
サルガドの写真はあたしから見ると報道というよりは、作品と思える。作品であることが悪いとはもちろん思わない。報道はカメラマン(あるいは編集者)が何らかの使命を帯びて物事の中の事実を切り取りあまねく報せることが目的であり、「作品」のもつよりパーソナルな、あるいは報道よりはるかにユニバーサルな使命とは明らかに性質が異なる。ただ、あたしはサルガドの写真を報道で見たら、おそらく戸惑う。戸惑って「なぜこんなに綺麗な土地の綺麗な人々に対して援助をせねばならないの?」と思ってしまう。そこにある美しさはあたしには、万物普遍の美を感じるから。
半日たった今も、正直まだ戸惑い続けている。
サルガドの写真。アフリカの現状。この結びつきから得られる答えに対して、どう考えればいいのか、答えが出ない。
まだしばらく、時間がかかりそうだ。
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