匂い立つような文章がある。
私が勝手に「消えてしまった私のある部分を保つ女性」と定義づけている作家、森茉莉の文章はこの分類だと思う。
彼女の名文の中でも特にすきなのが、以下のくだり。
森茉莉が父方の祖母に抱かれているごく古い記憶をたどった一文である。
この祖母は茉莉を可愛く思ういっぽうで、茉莉の腹違いの兄にあたる於兎をふびんに思っているがゆえ、茉莉に対してどこか堅く、わずかな毒を捨てられない。
そういう祖母が茉莉を抱いて、ひくい声で歌っている。
祖母の声の奥にある、言葉に出せないかすかな悪意を、茉莉はそうと知らずにあるがまま受け止めている。
その表現が、絶品なのだ。
『彼女は私をも愛していたが、愛していながら、愛することが出来ない。
そこから彼女の寂しさが生れ、冷たさが生れた。
その冷たさを私は陽の当る縁側から差し込む温い光で、牡丹の花が
明るく浮き出ている、メリンスの肌目(きめ)と一緒に、吸い込んでいた。』
(森茉莉「記憶の絵」ちくま文庫刊より)
茉莉は祖母に抱かれながら、祖母の悪意を、「メリンスの肌目とともに吸い込んでいた」のである。
私の父の実家は、山陰の田舎町で呉服屋を営んでいた。
戦争当時まで地主で町の人々が毎日次々に「旦那さん」「旦那さん」と様々な相談事を懐に、店を訪れていたというのが父の自慢であったのだけれど、今思うと私の記憶にあるその店構えは、京の町屋に似て間口が狭く、奥のひろいウナギの寝床。決して立派な地主の家ではない。
遊び人で、仕入れと称して、五人の男の子を抱えた妻を残して独り大阪へ出向いては遊び倒したという祖父が、一代で家を潰してしまったというのが原因なのかもしれない。
その町屋風の家屋は、店舗向こうの回廊横、小さな中庭を抱いていた。
古い井戸が黒い口をぱっくり開く苔むした石畳と、砂利がゴロゴロする地面。
その小さな「外」からは、夜星を眺められた。
井戸の横を奥座敷へ続く回廊には寒い厠があって、湿った夏の夜、その厠へ一人で行くのが怖がりの私は嫌でしょうがなく、それが祖父の家に行くことを嫌がる理由の一つだったように思う。
この中庭の更に奥には、大きな部屋があったはずなのに、私の記憶はそこでぷつりと切れていて、どんな部屋だったのかを思い出せない。
秘密の多かった家では、自由に家を歩き回ることを暗に禁じられていて、その奥座敷は、私たちのような年に一度の訪問者に対してあるいは閉じられた空間だったのかもしれない。
森茉莉の文章ににじむ暗い秘密は、そんな私のふるい記憶の扉をひらき、ふと奥へと迷い込ませるところがある。
----
対して、須賀敦子の文章は、まったくちがう光を放っている。
彼女の体験するヨーロッパ、そして古い両親の記憶は、私になつかしみを持たせない。
流麗な文章は達者で、常に二つの言語の間で迷いながら一つ一つの言葉を選び取っていった翻訳者としての彼女の誇りが見てとれる。
読めば読むほど磨きぬかれた言葉は、無駄がなく、簡素でさえある。
限りなく読みやすい文体。
なのに、私は彼女の描くヨーロッパを「自分の体験していないもの」として、自分の外にある「異物」として受け止める。
何年ぶりかで須賀敦子を思いだし、初めて「コルシア書店の仲間たち」を読んだとき、それを突然感じた。もうずっと前に「ユルスナールの靴」を読んだときには、感じなかったはずなのに。
けれど、その後私が須賀敦子の別の著作に進まなかったことが、当時の私の抱いた違和感に近いものを思い起こさせる。
今回感じた「異物感」の原因はすんなりと見つかった。
「コルシア書店」に出入りする人々を描いたこの作品では、文字通り描かれているのは「仲間たち」だけで、須賀敦子本人はごくごく透明なフィルターの役目しか背負っていない。
自分自身に光をあて、その反射として周囲の陰影を描き出す森茉莉とはまったく異なった手法。
書き手の背景が無意識なのか意識的なのか、すっぱりと切り落とされて見えない。自我のカタマリのような私にとってこの手の作家は、かなり辛い手ごわい書き手なのだ。今回は、けれど私は次の著作へと進んだ。
「遠い朝の本たち」は、須賀敦子の死の直後出版された、書評集とも随筆ともつかない、本にまつわる思い出を語った一冊。
ここで語られているのは本人の思い出なので、ようやく僅かに須賀敦子という人の輪郭が見えてくる。
幼いころに妹と奪い合って読んだ本の思い出。
疎開していた先の学校で心細く過ごした日々。
キリスト教文化に少しずつ浸りはじめた青春期。
おかしなことに、この一冊でわずかに見えた須賀敦子の影を、私は追いかけたいと思わなかった。「遠い朝の本たち」を読んで私はあらためて「コルシア書店の仲間たち」の方に、より濃い、人間「須賀敦子」を感じ取ったように思う。
その後、「ミラノ-霧の風景」「霧の向こうに住みたい」「ヴェネツィアの宿」「地図のない道」「塩1トンの読書」と読み進んで、現在は「トリエステの坂道」で一息ついているところ。
これだけ集中して読んで感じているのは、彼女の淡白な文章で綴られているのは、すべて限りなく濃厚なヨーロッパの空気、キリスト教文化の空気なのだということ。
須賀敦子は、戦後まもない時期から現代に至るまでの変化著しいヨーロッパに年毎通い、激しい変革を「異邦人」としてつぶさに観察してきた。
といっても彼女の作品の中には政治も宗教も、決して直接的な形では現れてこない。ただ彼女の描く身近な人々(あるときは商人や農夫、あるときはブルジョワジー、没落貴族)一人一人の中に重く苦い歴史がにじんでいるのが、そこかしこに垣間見える。
それらの人々を描き出すとき、須賀敦子は純然たる観察者となって鋭くえぐり、あるいはごくあっさりとスケッチし、「日本人にとってのヨーロッパ」ではなく、「ヨーロッパ」そのものを日本語で描こうとしているように見える。
対象物をより純粋に描こうとしたとき、光をあてるのではなくあるがままを写し取ろうとする。。。それが須賀敦子の文体の簡素さの秘密のような気がしているのだ。
----
森茉莉は、日本を、そしてフランスをあくまで「森茉莉」の世界で染め抜いた。その対象はフランスでなければならないし、愛するパッパ(森鴎外)の話でなければならない。まず「茉莉」がいて、すべてが始まる。それに対して、須賀敦子のヨーロッパは、あくまで透明な観察者の記録であり、同時にこの作家でしかありえない視点を提供している。
森茉莉が匂いたつもの、そこにある人の空気や熱を「呼び起こして体感する」小説ならば、須賀敦子の文章はその旅を「新たに体験する」文章であり、ともに旅をする同伴者であると感じる。森茉莉は森茉莉の、そして読む人間の内面にすべてがあり、須賀敦子は開かれた世界へと飛び込むことに重きが置かれる。彼女の文を読むことは、空気のにおいを吸い込むのではなく、風として頬に受ける感覚に近い。
どちらがいいというのではなく、ほぼ同時代を生きた(といっても、茉莉のほうがかなり年上ではある)二人の女性は、それぞれに似た対象(家族、そしてヨーロッパ)を描きながら、まったく違う世界を見せてくれる。
この後、「ユルスナールの靴」を何年ぶりかで読む予定。
何を感じ取れるのか、今からとても楽しみ。
※余談だけれど、須賀敦子のヨーロッパ狂いの父は鴎外を愛読していて、留学先で日本語を忘れそうな娘に対して、「即興詩人」の鴎外訳を読むようすすめたり、歴史書として「渋江抽斎」を読むよう指示する。父への反抗から読み渋っていた須賀敦子は、後年「渋江抽斎」を繰り返し読み、その中に父のメッセージを読み取ろうとするエピソードがあるのが、なんだか因果めいていておかしい。
ちなみに鴎外ファンの間では名著として名高い「渋江抽斎」を、娘である茉莉は自分の不肖を鴎外ファンに詫びつつも「退屈な本」と言って切り捨ててしまっている。
morimari_sugaatuko
最近のコメント