ユリイカ矢川澄子の特集、読みたいー。。。でも、2200円ってずいぶんだと思うわ。。
私はやっぱり矢川澄子はとても正確な語り部であったと思う。
文芸翻訳者にはいくつかの大切な側面がある。
幼いころからどちらかというと海外文学のほうが身近に感じていた私にとっては「翻訳」ってとてもとても重要な位置をしめている。けれど欧米、とくにアメリカでは「翻訳者」ってのはたいして重要な役目だとは思われていない傾向がある。オリジナリティをなによりも重んじる文化では模倣の極みを歩かなければならない「翻訳」という仕事は屈辱的な作業であるのかもしれない。
本が出版されて、その内容が云々と書評されることはあっても、翻訳のイイ悪いはまずそこには書かれない。よほどの悪訳であってもそうだし、その逆の名訳であってもせいぜい仲間うちで評判になる程度。
だいたい本の翻訳なんて一度しかされないものだから比べ様がない。最近は原著で読む人が多くなったから多少は変わったかもしれないけれど、原文を読むひとは翻訳なんて読まない。
というわけで、翻訳の評論というのはほとんど発達しない。
ゆえに、その質の向上もとてもむらのある状態だと感じる。
フランスのある翻訳家が2000年までにドストエフスキーを全部訳し直すというプロジェクトをぶちあげているのを聞きました。フランスでは一時期ドストエフスキーがフランスに入ってきた初期の翻訳のまずさを指摘する声が大きくなっていたらしい。そのプロジェクトが完了したかどうか。。気になってるけど調べても分からず。。これはまさに、最初の翻訳者は「紹介者」としての任を全うしたけれど語り部としては不適だったということか。。?
矢川澄子の遺作となった「アナイス・ニンの少女時代」。図書館で手にとっただけだけれど、彼女の最後の翻訳が掲載されている。すさまじいまでのアナイスの内側を精緻な文章で描き出した傑作。そのアナイスの裏に踏み込み、分析した矢川の前半に続く「あるモデルの話」。矢川の翻訳がなければきっと世には出なかったであろう埋もれた宝。
矢川澄子は最後までまぎれもなくすばらしい「語り部」であり「紹介者」であり、それらの資質を十二分に発揮した「翻訳者」であった。
心より冥福を祈ります。
yagawa_honyakusha
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