笙野頼子「硝子生命論」の人形が「死体」をかたどっていることから思い浮かんだのは恋月姫の人形。
公式サイトのURLははってなかったか。
http://members8.cool.ne.jp/~koitsukihime/
この恋月姫は自分の人形を「仮死状態である」っていうふうに表現してるのね。
死んではいないけれど、例えば脈が一時間に一回とか、そんなふう。
個展で本人に話し掛けて聞いたら、
「私の人形は神への捧げものなのです」
と淡々と話していました。
捧げる人形。仮死状態の少女を捧げられた神様ってどういう心地なのだろう。。などとまたもやヨコシマな私。
でも、見る人に「死んでいる」と称される人形は可淡ドールのほう。
萩尾望都も可淡の人形について写真集の中で語っている。
「『不安』から始まって、『死』へ向かう宇宙の中に天野可淡の人形世界は完結している」
人形を語るひとは多いし、私もこうしてしょっちゅう人形を語る。
でも、やっぱり人形世界の話は自分の中に完結してしまうのね。
他人と交わることに意味をもたない。
あくまで私の場合だけれど。
だからこそ、人形は「恋愛」の対象となるのかもしれない。
閉じられた恋愛。発展性のない恋愛。
shindeiru_ningyo
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