今日偶然、夕方に可淡のご両親が会場を訪れ、簡単な形で談話を行うというのでその輪に入ってきた。
非常に明朗な、最後の戦中世代のお父さんと日本画家のお母さん。
愛情溢れ、強く明るい家庭を思わせる逸話の数々。
可淡は幼い頃からクロッキー帳を母親に与えられ、どこにいても人形をそこに描いて過ごしていた。両親とも忙しく遊ぶ相手もないのを不憫に思って買い与えた高価なアンティークドールをすべて解体して人形の造りを知りたがった。
映画やテレビドラマに出演していた子役時代を経て、突然あらわれる芸術家への萌芽。
美術学校へいきたい、と言い出す娘に協力し、はげまして受験させ、芸術の環境を与えた両親。
大学時代にはじめて作った人形。
可淡の人形を買い取っていた佐吉氏の話に驚いた。
「私はこうして(目を薄めにして壁によりかかる仕種)いても、手は動いているの。ずっと何か作っているの」
そしてお母さんの話。
可淡が自分の子供たちを砂場で遊ばせているときにも、必ず何かしら手で作っていたという。
両親の気に染まぬ相手との結婚。極端な貧乏生活の中で、食べるための手段としてどこまでも人形を作り続ける可淡。
作ってはバザーや露店などですべて売り捌く日々だったらしい。
わずかな人形教室の月謝もすべて生活に費やされたと。
芸術家としての側面しか見えなかった天野可淡の姿がすこし、現実のものとして浮かんだような気がした。
ご両親の話が終わったとき、質問をできる時間があり、尋ねてみた。
「可淡は人形を作るのにモデルをつかっていた」との話があったので、そのことについて。
「どんなふうにモデルにしていたのか。デッサンしていたのか?それともその場で何か形づくっていたのか?」
ご両親も現場に立ち会ったことはないと語られ、明確な答えはなかった。
それだけは踏み込めない領域だったのだろう。あまりにも理想的な親子関係に見える(親から語る子とはそのようなものだと思う)逸話の数々の中、垣間見えた可淡の作家としての頑固さだった。
明確な答えがない中、「これはよく知られていることですが」と前置きして佐吉氏が話した。 「可淡さんの人形はモデルとそっくりだと誰もが言います」
可淡の人形は「生き人形」と言われる種類のものではない。かなり強いデフォルメがなされていて、当然「人間そっくり」とはいえない作品。
だから、「似ている」というのは一見ぴんとこない。けれど、一度私もモデルになった人の写真を拝見したことがあるが、本当に似ている。何が似ているのかというと、目、なのだ。目に宿る影、といおうか。
そうしてそこから作られる全体の雰囲気がすべて似てしまっている。
本当に瓜二つだと感じた。
そのことは、あるいは逆に、可淡が「このひとをモデルに人形をつくりたい」という女性は、可淡の描きだしたい人形世界そのものであったということを示しているのかもしれない。
「娘の作った人形はほとんど女性ばかりです」
と、モデルの話をしていたときにお父さんが言われた。
佐吉氏の所蔵する二十一体の人形も一体のみ少年(この少年の人形がプレビュー展で可淡の写真の下に飾られていた)。
他はすべて女性の人形だそうだ。実際展示会場にあった人形も男の子は二体のみ。
また、佐吉氏の話。
「可淡さんの人形を怖いというのはほとんどは男性」
私はむしろ可淡ドールは男性ファンが多いのかと思っていたから不思議だった。
天野可淡はたまたま女性なのか。。。。それとも女性だからあの表現法をとったのか。。。。
男性だから、女性だからという部分に訴えるのか、それとも「性」の境界ゆえの微妙さなのか。
また私に、大きな宿題がひとつ増えたような。。。。。
katan_doll_honban2
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