薄い一冊ですが、読んでしみじみ吉屋の鬱積した思いをギリギリに溜めた感じを受けました。
時期的には吉屋の生涯の伴侶となる千代を伴っての渡欧の直前に書きあげられたらしい一冊だそうです。
そんな背景はともかく、吉屋の立場や千代との関係から、主人公ちえ子と周囲の人間関係を深読みすると面白すぎる。
幼馴染みのミナ(ちえ子との別れのときに受け取ったハンカチを握りしめて病死)
女学校で出会った優しいお姉様(ちえ子の生き別れの母にちえ子のためにぜひと乞われてちえ子と同居している叔父のところへ輿入れする)
生き別れのお母さま(実の母と告げられない辛さをこめて、病床のちえ子にくちづけする)
吉屋はとにもかくにも血縁との幸薄い関係というものにこだわる。
花物語にもこの手の話はごまんと出てくるけれど、ことこの「暁の聖歌」で際立つのは母のちえ子へのくちづけ。
なんというか。。生々しいの。
肉親の思いを込めて。。というのとは違う生々しさ。
当時、女性同士が結びつくのはそれこそ限られた期間、女学校にでも通う数年間だけでした。
吉屋がいかな望んでも、それ以外の場所での女性同士の結びつきは極めて希薄で、濃厚な女性同士の絆といえば母子の絆。姉妹の絆。そればかりだったのではないかな。。
吉屋が望んだほどの強い絆を求めるには、そこに血縁関係がなければ難しい。
暁の聖歌に出てくるちえ子と母とは、母と名乗れない事情があり、それゆえにちえ子は幼いころから「東京の叔母さま」として接してくる。そこから始まるドラマはめくるめく展開を見せる。
以下に、ちえ子と母親の関係を恋愛に置き換えてなぞってみます。
母と知らぬちえ子は、ちえ子と会う度に涙する母を「なんと弱虫の叔母さまだろう」と半ば呆れ、「いやなひと」とまで思う。これが物語の中で一種恋愛初期の伏線のように作用する。
やがて事情を察してしまったちえ子は、叔母さまを疎んだことを後悔し、それでも名乗ってくれぬ美しい母に思慕の念を募らせる。これが第ニ次恋愛症状。
やがて恋はちえ子の心身まで弱らせ、病に伏せたちえ子をお姉様とお母さまが見舞う。その中でちえ子に聞こえぬように母とお姉様が言葉を交わし、眠ったふりをしたちえ子に別れのくちづけをおくる母に、感極まり、思わずちえ子は「お母さま」と叫ぶ。これが恋愛のクライマックス。
いざ母と子の名乗りを終えた後となると、とたんにこの恋愛は家族愛へ変化を遂げる。
恋愛の安定期ともいえる。そして物語は終わる。永遠につづくお母さまと、そしておねえ様との関係。
ちなみに、この母子の関係の間に「お姉様」との密なやりとりや、「ちえ子と繋がるために」ちえ子の叔父さまに嫁いだお姉様への小さな嫉妬など折り込まれている。
血縁関係にこだわり、女性同士結びつくことを追い求めた吉屋信子が千代を養女にしたことは、世間的な体裁や法律上の便宜以上の意味があったに違いない。。なんて邪推してしまう。
「現代」では決して書き得ない、想像を絶する圧迫の下でこそ書かれた少女小説。
不朽の名作がこんな風に生まれたことは、悲劇としか言い様がない。。
(2002年12月刊・ゆまに書房)
yoshiya_akatsuki
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