ずんぐりむっくりした体と、マイペースのキャラクター。人とは明らかに違いながら、「妖精」のような存在感の疑わしい者でもない。
それがムーミントロールと、ムーミン谷の住人たちの在り方。
ムーミンというと、日本ではアニメの方が有名なので、まずあのマザコンで女の子に弱いムーミンとやさしいママという図が浮かぶ人が多いと思う。
実際、ムーミンの話をヘテロセクシャルな家族愛の話ととる人は日本人には多くて、今回の大丸の展示会の図録にも、その旨の言葉を寄せる人がいたし、会場に繰り返し流されていたアニメの「魔法の帽子」のエピソードは、過剰なほどにママに甘えるムーミンと、ムーミンを特別扱いするママの母子の愛をクローズアップした演出になっている。
けれど、原作ムーミンには家族愛というよりももっと強いテーマがある。
トーベ・ヤンソンの原作ムーミンはムーミントロール一家を核にしているけれど、そこに集まってくる人々と一家の間にはなんの分け隔てもない。一家はともに暮らしているが、そこにリトル・ミィが入ってこようが、スノークのお嬢さんが入ってこようが、ご先祖さまが寝ていようがまったく一家は意に介さない。
リトル・ミィにはミムラ夫人という母親と、ミムラねえさんという姉がいるが、さした理由もなくムーミン一家の養女となっている。また、スナフキンとミィは血のつながった兄弟だけれど、二人が血縁であることは物語りの中ではまったく重視されていないし、スナフキンはミイよりもムーミントロールとのほうがずっと関係が深い。
「ムーミン谷の仲間たち」の中には、ヘムレン一族のひとりが一族を嫌い、一人で公園で新しい遊園地を作って子供たちと暮らす話があるが、この中のヘムレン一族の反応は、大笑いして「変わったヘムレンだったからねえ」、でおしまいである。無理矢理説得しようとか、仲間に取り込もうとかの画策はナシである。
もしムーミンのテーマが血縁の愛であるとしたら、これはとても奇妙な状況となってしまう。
原作ムーミンの登場人物たちは、一家それぞれをはじめとして、すべての登場人物がおそろしく個性的で自分勝手、わがまま気まま。とてつもなくマイペース。この物語の中で本当に重要なのは、そういう個性を個性のままとして放置しあっている関係性であると、私は感じる。
そして、血縁と無関係に個別の関係性を築いている。
なぜこういう一見奇妙な人間関係をヤンソンが描いたのか。
このムーミン谷の住人たちのあり方の根拠を、ヤンソンの血に求める人は多いように見受けられる。
ヤンソンの両親はスウェーデンからの移民で、ヤンソン自身もスウェーデン語を母国語として使っている。ムーミンが書かれたのもスウェーデン語である。
スウェーデン語を使うフィンランド人は全体のわずか5%~7%程度に過ぎない。
つまり、言語、文化においてヤンソンはフィンランドにおけるマイノリティであったということが、個性を尊重するムーミン谷の理想郷を描かせたという説である。
けれど、有力と見られるこの説にも実は大きな矛盾がある。
ヤンソンが生涯を送ったフィンランドは、スウェーデン語とフィンランド語の二言語を公用語として採用しており、実際全体の5~7%程度しかいないスウェーデン語を使用する人々のための教育機関がきちんとあり、人々はどちらの言語でも不自由なくフィンランドで生活が送られる権利を国家によって保障されているそうである。それでもマイノリティはたしかにマイノリティ。
ただ、そこで重要になるのは、どういった人々がフィンランドにおいてスウェーデン語をしゃべっているのかという点。
スウェーデン語がフィンランドでの公用語のひとつとなっているのは、フィンランドが過去にスウェーデンの統治を受けていたということから。マイノリティであるスウェーデン語を話す彼女ら彼らの多くは、いまだにフィンランド国家にとって経済・政治・文化を支える要人であり、そのことがフィンランドにおけるスウェーデン語を少数言語として確固たる地位を保たせている。ヤンソンの両親も例にもれず、父親は有名な彫刻家であり、母親も挿絵画家として地位を築いていた。
マイノリティはマイノリティでも、立場はかなり特権階級に近い。
中にはヤンソンを日本におけるコリアンジャパニーズに例える日本人もいるけれど、これは大きな間違いと私は思う。韓国は日本に侵略を受けた側であり、ヤンソンのようなフィンランドにおけるスウェーデン系の人間とは立場はまったく逆となる。
もしヤンソンの属したスウェーデン系フィンランド人の立場が、韓国系日本人の立場であったならそういう解釈も成立しえるかもしれないけれど、特権階級に近い立場であったヤンソンがそのことを理由に個性の多様さを許容するための物語を描いたという説は根拠に乏しいのではないか。。
じゃあ、なぜムーミン谷の住人はかほどに自由気ままなのか。
私は、ヤンソンのセクシュアリティにもその秘密があると思える。
というか、これが言いたくてここまで書いたのよね(笑)。
もともといつから彼女が女性を愛する人であったのかは不明だけれど、もっとも気力も体力も充実しているはずの年代に第二次大戦が勃発し、ナチスドイツやソ連の侵略の恐怖におびえ、思想を自由に表現することもままならなかったフィンランドのヤンソン。いうまでもなく、ナチスは同性愛者の大量虐殺・迫害も行っていた。
彼女がイラストレーターとして有名になったGARMという雑誌の表紙に彼女はナチスへの憎悪を描き、やがて風刺画さえ描けなくなったとき生まれたのがムーミン童話らしい。(もともとムーミントロールのキャラクターはヤンソンが署名代わりにイラストの隅に描いていたのでファンにはなじみがあった)
すでにイラストレーター・画家として名をなしていたヤンソンが、自らの抑圧されたアイデンティティの発露として、比較的ナチスの抑圧から遠い童話としてムーミンシリーズを描いたとしても、不思議はないと思う。
一番大きな要因は、戦争・ナチスという暴力への抵抗であり、多種多様な人種を認めたいという思いからに違いない。けれど、その中に巧みに潜ませた、さまざまなセクシャリティへのヒントがちりばめられているように見える。
まず、ムーミン谷の冬に出てくる『赤と白の横じまのセーターを着て、ナイフをこしにさげ、ぼうしをかぶっている』トゥーティッキー(和訳:おしゃまさん)というキャラクターには、明らかにダイキーな匂いがある。このキャラクターのモデルはヤンソンの恋人、トゥーリッキ。そう考えて読めば、ムーミントロールと親友スナフキンの心のつながりは、友人というより恋人のそれに近い。
ムーミントロールとその一家が家族であり、ムーミン谷に集まってくる人々の核になりつつも決して「主役」として特別な描き方をされないことは、血のつながりよりも個々を重視する関係性、言葉に出さない関係性をこそ重要と考えた同性愛者ヤンソンの生き方、トゥーリッキとのつながりを象徴しているように思えてならない。
それはムーミン一家が血のつながった家族であり、他とは他人であるからこそ余計に際立つ。
一族だろうがなかろうが、ヤンソンにとっては無関係に、それぞれが同一に大切な個性なのだと。
ヤンソンの暮らしたフィンランドの大統領は2004年現在女性。
タルヤ・ハロネン氏は、過去に同性愛者の団体の代表も勤めたことのある人物とのこと。
現在はセクシャルマイノリティにとっては日本の百倍は暮らしやすそうに見えるこの国も、実は1960年代までは同性愛が法律によって禁止されていたそうで。。それが転じて1971年には同性愛を含むセクシャルマイノリティの差別を禁止する法律ができ、2002年には同性カップルに異性カップルと同等の権利を保障する法律が施行されている。戦争、政府、法律によって二転三転する同性愛者の立場にヤンソンが苛立ちと絶望を覚えていたであろうことは、想像に難くない。
現実で非常に高名をはせていたトーベヤンソンという作家である自分と、愛する女性との生活を、他国への翻訳書では「独り暮らし」と偽らねばならなかった透明な存在としての自分。
ムーミン谷の住人たちを「実在の動物」でもなく、かといって存在のあいまいな「妖精」ともしなかったヤンソンが、それらのキャラクターに周囲からは見えないけれど確実にそこに存在するレズビアンとしての存在感を投影させていたと考えるのは、穿った見方だろうか。。?
トーベ・ヤンソンがトゥーリッキとの無人島暮らしを記録した「島暮らしの記録」を出版する直前に著した作品に、「クララからの手紙」という小品がある。
これはクララという女性からの短い手紙を数回分まとめただけの、一見なんのまとまりもない手紙の束となっているが、この最後の文章に私の目はひきつけられた。
とある作家らしき女性(クララ)から、雑誌名「女どうしで」の編集者へと綴られた内容は、原稿依頼を断る手紙。
何の原稿依頼なのかは釈然としないけれど、依頼を断る理由として、「個人的な領域のことを公的にすること」への抵抗感を記しており、この雑誌のめざすものが読者には正直な反応を引き出せないのではないかと危惧してもいる。
深読みというひともいるかもしれないけれど、私はこれは紛れもなくヤンソンと実在の雑誌(あるいはセクシャルマイノリティのための?)の編集者との間で交わされたやりとりの一部であったと信じている。
なぜ彼女が若いころに沈黙をたもったのか、そして1980年後半になってから突然二人の関係を後世に残すためさまざまな資料を整理しはじめたのか、トゥーリッキとの間柄を隠したわけではなくても、最後まで言葉で明確に語らなかった彼女の苦い思いは、調べれば調べるほどにじわじわとあぶりだされてくる。
夜明け前は一番暗い、とヨルは言ってる。
「ジェンダーフリー」をその言葉ごと封印してしまった東京都の教育委員会(都知事の差し金?)の馬鹿さ加減。たとえ後世のひとびとがあざ笑うであろうと自分をなぐさめてみても、現在押し込められている私の痛みは減らない。
ただ自分を振り回すばかりの現実を苦く思っていたヤンソンが、自由を踏みにじる戦争への、セクシャリティを抑圧する政府への怒りを、ムーミン谷の中で、トゥーリッキと暮らした無人島クルーブハルでの生活の中で昇華していったとしたら、その思いに私は強い共感を覚える。
私にもムーミン谷が欲しいなあ。。。
参考資料・URL
ムーミン谷の彗星
楽しいムーミン一家
ムーミンパパの思い出
ムーミン谷の夏まつり
ムーミン谷の冬
ムーミン谷の仲間たち
ムーミンパパ海へいく
ムーミン谷の十一月
(http://www.moomin.co.jp/)
島暮らしの記録
クララからの手紙
(http://www.chikumashobo.co.jp/)
ムーミン谷の素敵な仲間たち展・図録
(http://www.toei.co.jp/event/event-now/mumin/movie.htm)
フィンランドの言語状況
(http://www.finland.or.jp/j-mantila.html)
【フィンランド】 同性愛団体の代表経験があるハロネン氏が大統領に当選
(http://www.milkjapan.com/2000kn02.html)
「ジェンダーフリー」教育現場から全廃 東京都、男女混合名簿も禁止
(http://www.sankei.co.jp/news/040813/morning/13iti001.htm)
moomin_jansson
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