松浦理英子というと浮かぶもののひとつに、清貧。赤貧。
これなのよね。
なぜ貧乏になるかというと、答えはひとつ。
金より大事なものがあるから。
いや、生まれつき金に恵まれているために金に対して鷹揚になる人もいるけれど、そういう人はお金がなくなるととたんに全てがつらくなる。
でも、松浦のようになにより大事なものを優先して生きている人は、金がなくてつらくても「金、金」とはならない。いや、美化するわけじゃなくて、「金、金」となりつつ、結局生き方としては「金はあってもなくても食べられればそれでいいや」となる。
大事なのは「お金を得ること」であって、「金持ちになること」ではない。
裏返せば、今の世の中は、主義主張を持っている人はもうからない仕組みになっている。
できるだけマスに訴える、できるだけ最大公約数的なものを発する人にお金があつまる。
セクシャルマイノリティ(性的少数派)でもそれは同じ。
そもそもマイノリティなのだから、お金が集まるわけはない。
それに加えて、さらにフェミニズムなんてマイノリティな主張を繰り返せば、お金はひたすら逃げてゆく。。。
「貧乏でも心は豊か」
なんて中途半端な美談を繰り広げる気はない。
お金は欲しい。売るほどあれば最高(笑)。
でも、一番大事なのは、それを使う自分。お金を使って楽しく人生送る自分。
松浦のエッセイにはよく「清貧」という言葉が出てくるけれど、これは「貧乏」と区別しているのかな。
「貧しく欠乏している」んじゃなく、「清く貧しい」のかな(笑)。
インドまでもどこまでもその道突っ走ってほしいけど、読者が松浦欠乏するまえに、戻ってきてほしいかな。。
文章読みたいもんね。。貪欲な読者は。
seihin_matuura
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