先日買った雑誌の話題もうひとつ。
おそらくku:nel創刊号から連載されている、川上弘美の短編。
毎号の特集にあわせた短いものが掲載される。
今回のミシンもきちんと登場する。
話はごく短い。
男性に振られた女性が、ゲイらしき女言葉の男友達の友情を助けに立ち直る話。ミシンは男友達が趣味でパッチワークをやっているというシーンで登場。
私は、この小説に「嘘」をいくつも見出す。
小説なんて嘘の積み重ねかもしれない。
でも、許せる嘘と許せない嘘がある。
私から見たら、この小説内の嘘はどれも、「許しがたい嘘」だった。
その1
主人公の女性は、恋人に突然別れを告げられる。
その別れの告げ方に、嘘がある。
「もう好きじゃなくなったから」
いや、そんな別れの告げ方もあるかもしれない。
私とて、楽しいデートの後の楽しい電話中に突然「結婚したいから別れたい」と告げられて動悸に襲われた女だ。どんな別れの言葉も驚かない。
でも、嘘はこの言葉じたいではなく、この言葉に真実味を持たせようとしている作者の筆にある。
その言葉の後ろにある何かを考えることもなく、ただ卒倒する主人公。
意識を取り戻して後も、決してその「別れ」になんの疑問も持たない。
そんな人間がいるだろうか?
その2
主人公の男友達に、嘘がある。
この優しい女言葉で毒を吐く男友達は、ここ数年よくドラマや小説で見かける、ヘテロの主人公にとって都合のよい、性別不明の相談相手だ。
それらのゲイたちは押しなべて口が悪く、性は良い。
傷ついた女にとって、自分を甘やかしてないと言い訳できる程度に厳しく、けれど本当に辛いときには何をなげうっても自分のために「女の友情」を示してくれる。
この男友達は、ご丁寧にも母親思いで家事が得意という描写がついている。
そんなおトクな男友達がなぜ、「好きじゃなくなったから」と言って男に去られてナットクしているような女の、親友になるのか?
女側の都合でしか、考えてない。
その3
実はこれが、最も許せない嘘、だった。
主人公は男友達の家で誕生日を祝ってもらった翌日、唐突にもはや振られた恋人のことを考えていないことに気づく。
そして主人公は、いまや、みじんも自分に好かれていない、あるいは嫌われてもいない、その元恋人をかわいそうに思うのだ。
恋にこんなふうな「終わり」があるだろうか。
こんなにもきっぱりした、「エンドマーク」を心に打つことが出来る人が、いるだろうか。
いや、意識してオシマイを形づくる人はいるだろう。
でも、この小説は違う。
まったく自然に、唐突に、「もうまったくその人を好きでもないし嫌いでもない」と気づくのだ。
その人のことを哀れんでしまうほどに。。。
そしてその表現は決して「恋愛経験の少なさからおこる、立ち直ったことへの勘違い」とは違う表現をしている。
それは、作者のきっぱりした中にうかぶぼんやりとした文体で、妙に輪郭のみ確かな線で描かれた物語であると、私は感じた。
その表現の中、作者は恋のはかなさではなく、主人公の強さを表現してしまったのだ。
そんなのは男の身勝手さではない。
そんなのはゲイの優しさではない。
そんなのは女の強さではない。
そんなのは、そんなのは、そんなのは!
小説には、嘘が必要。
でも、その嘘にはいくばくかの真実がなければ、ならないと思う。
嘘っぱちだけを投げつける小説には、嘘の面白みという真実が必要なように。
騙し絵にだって、相手を面白がらせる仕事が、ある。
嘘でないふりをした嘘、を纏った、小説。
昼ごはんのカルビ丼をわかめスープで流し込んだけれど、喉につまったカタマリが、どうしても取れない気がして、何度も冷たい水を飲んだ。
kawakami_hiromi
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