メイ・サートン(1912年〜1995年)
メイ・サートンを初めて読んだのは二十代のころだった。
正直そのころ読んだ「ミセス・スティーブンスは人魚の歌を聞く」は、漠然とした小説で、心象風景をそのまま表現したような文体を美しいとは思っても、さほど強い共感を覚えたわけではない。
そうして、三十代を越えて長く過ぎて、この数年でまた読み返したサートン。今度は違った。ページをめくり、読み、終えるのが惜しいほどで、一文一文を舐めるように読んでいる。
特に一連の日記作品はすべて、私の日々に明るく日を充ててくれる。私にとってかかせない本たちとなった。
これだけ年代で反応を変えた作家も珍しいけれど、理由が今は分かる気がする。わずかな経験でもほんの十年で私にとっては大きな変革があったということ。その変革によって得られたものが、メイ・サートンの描いているものとどこか重なる部分があったこと。そういう変革というのは「経験」だけでは得られない。おそらく私の中の何かが確実に「変質」を遂げたのだと思う。良い方向なのかそれとも違うのか、その結果が分かるのはいつなのか知れないけれど、メイ・サートンという得難い作家を自分の中に招き入れることが出来たのは、間違いない収穫なのだから、良いこととしておきたい。
メイ・サートンは、ベルギーの世界的な科学者であり社会主義者のジョージ・サートンとイギリス人デザイナーのメイベル・エルウェズの間でベルギーに生まれる。
非凡かつリベラルなこの両親との愛情と葛藤に満ちた暮らしについては彼女が最初に著わした作品「私は不死鳥を見た」に詳しい。また日記すべての中に両親にまつわるあらゆるエピソードがちりばめられていることから、メイ・サートンが大人になってからも常にこの両親の影響を意識して作品を作り上げていたことは間違いないと思われる。
第二次大戦中、メイが四歳のとき父ジョージの研究を完成させる地をもとめて米国へ渡る。以後、教育を受け高校を卒業したメイは大学を蹴ってエヴァ・ル・ガリエンヌの劇団へと進む。この決断のためにメイは二年をかけて両親を説得することとなる。
劇団での数年間の後,メイは自分の劇団を立ち上げ、ブロードウェイを目指して資金繰りに奔走するが、やがてその夢を断念。同時期に初めての詩集が出版され、後は著作活動のみに集中した。
メイ・サートンの著作の魅力は、なんといっても後期の作品を貫く独特の簡潔な表現が連なる文体。そして多岐に渡る作品のジャンル。詩作、小説はもちろん、日記、批評、自伝等ありとあらゆるスタイルで自らを表現し続け、亡くなる前年まで筆は止まらなかった。いきおい発表された作品数は60を超えるという多作ぶり。
日本では日記と小説を中心に12作品が翻訳されているが、残念なことにメイ・サートン自身が何よりも自由な表現として愛した詩作をおさめる詩集の翻訳はいまひとつものたりない。また、私が一番好きな日記も翻訳は四作品(「独り居の日記」「海辺の家」「回復まで」「82歳の日記」)のみで、実際に発表されたのはその倍の八冊が出版されている。彼女の作品を翻訳出版しているみすず書房が「メイ・サートン・コレクション」と冠して11作品を出しているが、翻訳11作品目としてサートン最後の作品「82歳の日記」の翻訳を最後にコレクション完結と発表しているのがとても心残りなところ。
彼女の作品のあり方の中には彼女自身が同性愛者であることが重要な部分をしめている。
けれど同時に「レズビアン作家」という世間の決めたレッテルに猛然と反抗した精神もあり。。それらの葛藤と融和の軌跡が日記作品の中には時代を追って描かれているのが印象に残る。
独り居の日記メイ サートン (著), 武田 尚子 (翻訳) 単行本 (1991/11) みすず書房・サートンが最初に日本に紹介された作品。 | |
ミセス・スティーヴンズは人魚の歌を聞くメイ サートン (著), その他 単行本 (1993/10) みすず書房 ・この小説でのカムアウトにより、後の文壇で冷遇にあう。 | |
今かくあれどもメイ サートン (著), その他 単行本 (1995/02) みすず書房 | |
夢見つつ深く植えよメイ サートン (著), その他 単行本 (1996/02) みすず書房 ・冬の時代、田舎で自分を見つめ直すサートンのエッセイ | |
猫の紳士の物語メイ サートン (著), その他 単行本 (1996/10) みすず書房 ・ナバコフにも愛された猫トム・ジョーンズの物語 | |
私は不死鳥を見た―自伝のためのスケッチ メイ サートン (著), その他 単行本 (1998/06) みすず書房 ・自らのルーツを求める自伝の原形。 | |
総決算のとき メイ サートン (著), その他 単行本 (1998/08) みすず書房 ・サートン渾身の作品だが当時の「レズビアンを巧みに隠した作品」という悪意ある批評に苦しむ。 | |
海辺の家メイ サートン (著), その他 単行本 (1999/10) みすず書房・大切ネルソンの家を後にすることを決意したサートンの新しい生活。 | |
わたしの愛する孤独マリタ・シンプソン、マーサ・ウィーロック、メイ サートン (著), その他 単行本 (2001/05) 立風書房・友人マリタとマーサのフィルム「光の世界」でのインタビューに基づく一冊。 | |
一日一日が旅だからメイ サートン (著), その他 単行本 (2001/10) みすず書房 ・翻訳の少ないサートンの詩撰集。 | |
回復までメイ サートン (著), その他 単行本 (2002/04) みすず書房 ・「総決算のとき」の悪評と失いつつある愛から次第に立ち直る姿。 | |
82歳の日記メイ・サートン (著), 中村 輝子 (翻訳) 単行本 (2004/08/11) みすず書房・亡くなる一年前までを克明に口述した日記。 |
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