このサイトを眺めている人はそろそろうんざりしていることだと思う。
私のメイ・サートン熱。
この一年はトーベ・ヤンソンに始まり、ヴァージニア・ウルフに毒され、メイ・サートンに浸った読み手としては楽園の日々だった。
その一方で、実生活では私のまだ短い人生の中で最も困難の多い厳寒の一年。
あるいは困難の多い日々だったからこそ、私は先人たちの助力を無意識に求めていたのかもしれない。
メイ・サートンの「海辺の家」。
この力に溢れた日記は、彼女の残した数冊の日記(Journal)の二冊目にあたり、「独り居の日記」の数年後に書かれている。
滋養に満ちたエッセイ「夢見つつ深く植えよ」、そして「独り居の日記」に描かれたネルソンの地を後にして、サートンはメイン州ヨークの丘の向こうに海と接する広々とした住まいへと移り住む。
そこでの彼女にとって至福の一年半を経て書かれたのがこの一冊である。
六十を越えたサートンは、老いに対してある定まった態度をすでに持っている。
それは、「老いることは成長すること」という信念であり、その後彼女は姿勢を決して崩さない。
老いて鏡を見ることを厭う友人に対し、自分は鏡の中の自分の「目」を見ると言う。その目は素晴らしく輝いているのだ。
サートンのものさしからすると、私は「結婚生活」を送っていることになる。
恋人がいて、ともに暮らし、生計をたてている。
けれど同時に、私達にはなんの社会的サポートもない。
双方の家族のサポートも時には刃となるような危うい線を辿っている。
実際この数年に互いの両親に何度も別れて暮らすことを薦められた。
私達が二人で暮していて困難に直面したとき、真っ先に互いの家族に掛けられる言葉は
「二人で頑張りなさい」
ではなく、
「なぜ二人でないといけないの?」
なのだから。
この危うい「結婚生活」もはや丸四年、五年目に突入した。
一見状況は変わらず非常にギリギリ。
おそらく人から見ればいつ別れてもおかしくないくらいに危険な状況だろうね。。
けれど、私達にとってはこれまでになく「幸せな結婚生活」なのだ。
サートンは言う。
「女性同士にはなんの社会的サポートもなく、非常に壊れやすい関係である」
と。
その状況は、二十五年を経た今でもさほど変わっているようには見えない。
社会全体の空気は緩んでいても、一人一人、私たちの家族の中で家族を守ろうとする「常識」はもっと強固で堅牢なのだ。
けれど、変化したことがある。
それはサートンが得られなかった支えを、今日の私たちは得られるということ。
私はトーベ・ヤンソンを読み、ヴァージニア・ウルフに触れ、メイ・サートンを抱いて歩くことが出来るということ。
それは単純に「本を読む」という行為にとどまらず、生活の中に彼女らの息遣いを知り、今日食べたシチューの中に彼女らの振ったスパイスを味わい、外を歩くときに足元の草花に彼女らの悦びを見出すことに他ならない。
歴史は決して無駄ではない。
変化は土中で起こっているのだ。
ジュディとの「結婚生活」を経て、独り暮らしの孤独の中ひたむきに自らの才能ひとつを信じて命を磨いていったサートン。
彼女の生き様は、「生活を大事にする」といいながら大量の紙を使い広告にまみれた生活雑誌を世に送り出してゆく現代人の遣り方とは大きく異なる。
毎日種子を蒔き水を遣り、日除けをし、霜から覆い。。。
なんとか目の前の「命」を結ばせてゆく生活。
ヨルとの生活の中、なんらかの「命」を結びたい。
「海辺の家」から砕ける波頭を見るサートンを、時間を超えて感じながら、私もまた私の日々を送ってゆく。。
(メイ・サートン「海辺の家」・みすず書房・1999年10月刊)
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