唇にべったりと塗られた紅のように
まとわりつく闇。
やがて時間とともに、幽かな光があつまってくる。
どこからともなく、耳障りな女たちのささやき声。
闇の中、それは耳に注ぎ込まれるように確実に入りこむ。
唐突な明かりの中うかびあがるくたびれた着物の女。
手にはつくろいものの獣の皮。
手馴れた様子の運針。
細められた目、酷薄な唇がてらてらと光る。
ク・ナウカの俳優たちの肉体は、「器」そのものだ。
それぞれの役の「魂」を容れる装置。
薄い筋肉をまとい、ひとつの人生を凝縮したような、使い込まれた器。
その器が脚本によって言葉を吹き込まれ、情念を宿す。
それは命などではなく、まさにひとりの人間の情念。
女に人生を狂わされた住職、竜達の最後ののぞみの金。
金に踊らされ金の流れる方向へと渡ってゆく太十とおいち。
彼らすべての大人たちの人生のつけをみずからの性で払わされるおさない娘、おとら。
役者たちの肉体は、まるで一回り小さくデフォルメされた人形のように縮められ、密度の濃いなにかに満たされている。尋常の人間にない重さが床をきしませる。
人間ではなく、命があるでもなく、ただ、人物の背負った運命と情念のみを体現する傀儡としての存在。
「生きた人物」
という言葉が、いかに芝居において生っちろいかを、思い知らされるような、人形っぷり。
人情と金で揺れ動くろくでなし、太十に運命をあずける瞬間、おとらはただの麻袋のように、どすんと我が身を太十に投げ出す。まるで自分にはもとから人生などなかったかのように。その重みは太十を、やすやすと官能で満たしてゆく。自らの咎でその運命を狂わせた少女の必死な願いにさえ、色好みでしか応えない太十の性悪。隣家の女はついたての隙間から覗き見る。そこにはみじめに潰された少女の運命と、それに一瞥さえもむけない大人の渡世がすれ違う。
俳優は傀儡、演出は操り師。
芝居小屋の闇にひとときうかぶ、小さな舞台で、情念のみが踊りまわる。
じっと見守る私は、偽の命ではなく、ほんものの「情念」だけを傀儡の中に見つけて、身震いする。
この人形たちからは逃げられない。
なぜなら、この人形たちは命がない。
命がないから私にもなる。
私の魂を乗っ取ることが、できるはず。
おおこわい、こわい。
ク・ナウカ「巷談宵宮雨」2005年6月9日~12日・旧細川侯爵邸「和楽荘」
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