あるスローライフ系雑誌に短編小説が連載されている。
大きな賞もとって、人気もかなりある作家。
作品のいくつかはテレビや映画になっているけれど、爆発的というのとは違う受け取られ方をしている、そういうちょっと「いい感じ」の受け方をしている作家。
私はその連載短編小説が大嫌い。
毎回雑誌の特集テーマにのっとった、短めの、雑誌のムードに沿うような、こじゃれた一篇がページを彩る。
読むたびに、するすると不気味なほど口当たりのよい、コンビニのコンセプトスイーツみたいな、「でも、スローでしょ?素敵でしょ?」と自己主張する奇妙にバランスの悪い味。
でも、どうしてもその口当たりの良さに勝てない私。
ついつい読んでしまう私。
なので、私は身構えて、ちゃんと一冊読んでみた。
今っぽいものが嫌いだからとかなんとか。妙なことをつぶやきながら、本を手にとった。
言い訳なんてしなくて良いのに、
「私はこの作家が本当に私にとってダメなのかを確認するために読むんだ」
そう自分に言い聞かせながら、ページをひらく。ふと、兄や私が買ってきたスナック菓子を横から言い訳とともに掠め取る父親のにやけた顔が浮かんで、嫌な気分になる。
とにかく読んでみた。
まったく違う話だ。
女が自分の本能を踏みつける話。
面白い。
雑誌の短編小説の読みやすさはまったくなく、ひっかからない文体だけれど、いちいち「え?」と思い返さなければよみすすめられない、非日常を鏡から見たようなだまし絵の世界。
もう一冊読んでみた。
今度は最新作。
また全然違う。
文体のなめらかさは私の嫌いな短編小説のままなのに、そこで感じる
「自分と遠いものを、さらに遠ざけて感じることへの憧れ」
みたいなわざとらしさがない。
その作家の短編によくみられる、飾りのために登場するようなゲイやビアン、そしてエロの割合が、短編のそれと比べて圧倒的に低いせいだろう。そう。この人は明らかにセクシャルマイノリティをファッション的に捉えている人の一人だったから、抵抗があったのに。
「遠いものを遠いものとしてとらえる」
ことで、かろうじてバランスを保つ世代というのがあると思う。
生々しいものが苦手な世代。
私の中で、それは「やおい」や「ガールズラブ」と同列なんだけど。
最新作を読んで、この人の作品はうすまったほうがいいのかもしれない、と思った。
憧憬をうすめてみると、遠さへの距離がわかる。
私がイラつきながら読まずにはいられない、「安心して感じたいセンシュアルさ」みたいなものの正体がほんのすこし、薄いカーテンのむこうにちらついた感じ。
もうちょっと読んでみようと、思った。
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