言葉を手放したいと願いながら、結局言葉で語るしかない。
確かに。私は私なりに、言葉ではないものへのアプローチを言葉によって探ってゆくこともできるかもしれない。いや、今はやめておこう。この私のどこか、胸の奥とさえ言いたくないどこかに凝った感覚を、ただそのままにしておきたいから。
あの公演で私が感じ取った核の部分については、テキスト化する作業を放置する。
極めたくない。
今は。
もう一つの点については、自分自身のために、ここに少しだけ書いておく。ひとの肉体は素晴らしい。役者たちが床を背中で這ってくるのを見たときの単純な感動。表現することを目的として、鍛錬された体の動きはうつくしい。女性の身体も、男性の身体も、それ以外も、ひとりひとり。そこに息づく身体ひとつひとつが生きていることに頷いていた。
私のこの肉体を、今の私は肯定できない。
でも、受け取った感覚に驚いて素直に、心よりずっと反射的に振れてしまうこの肉体を、いとおしいと思う。心のグロテスクさに比して輝くばかりの健康体でありつづけるこの肉体を、祝福してあげねばという思いが、あの公演以来少しずつ、沸いてきている。その思いをほんの少しずつ、恋人との対話の中で深めている。結論を急ぐまい。。急いではならない。私の心はいつもからだより先走る。身体を待とう。今は、ただ。
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