私が育った家、といえるものはない。
父が転勤族で子供時代全国を転々としたせいもあるけれど、私には「根付く」という感覚がどこか欠如している。同じ場所に2年以上いると、落ち着かない気持ちになってくる。もう六年住んだ今の家でも、仮の宿という感覚が抜けない。気付くと次の場所を探している。もし私に無尽蔵にお金があったら、確実に引越し魔と呼ばれただろう。
そういう私が一箇所だけ、執着を覚えている場所がある。
母の実家である、山陰の山間、谷川のがけにへばりつくように立っている、今は90になる祖母が独りで住んでいる家だ。いや、正確には「住んでいた」家。
30年以上前、まだ50代だった祖母が祖父を病気で亡くしてから、ずっと独りで護ってきた家なのだ。
その家で祖母は神様を祀り、御霊様を祀り、暮らしてきた。彼女が御霊様に備えるための菊の花を摘んでいるときに転んで骨を折り、入院することとなった。そうして退院しても歩行器を使わねば歩けない身体の彼女は、とうとうこれまでわが子たちにどれほど言われても決して手放さなかった独り暮らしの自由と孤独を、手放すこととなった。
様子をききたくて母に電話すると、
「まあ綺麗なケアハウスでね、おばあちゃんもえらく気に入っとられえよ」
と意外にさばさばした口調で言う。
やせ我慢の局地のような母を産んだ人なのだから、輪をかけて気丈なのは分かっている。きっと周囲に迷惑をかけまいという思い、それ以上に状況を良い方向にだけ受け取ろうとする、30年以上独りで暮らしてきた人ならではのクリアな前向きさがとらせた態度だろう。
祖母が生まれて、90歳の今までずっと暮らしてきた家だ。祖母の兄は生まれてすぐに亡くなり、医師だった父と母は祖母が父の後をついで医師となろうと関西の医療の専門学校で勉強してあとわずかで卒業というときにあいついで亡くなり、天涯孤独になった彼女は泣く泣く勉学の志半ばにして一人ぼっちの家に戻った。そうして迎えた婿養子が、私を親戚中で一番猫かわいがりしてくれた、祖父なのだった。
いつもいっぱい幽霊話をしてくれる、語り好きのおじいちゃんと、少し恐いしっかりしたおばあちゃん。祖母はきっと、私をしっかりしつけようと色々な注意をしてくれていたのだろう、大きな祖父の愛情の陰になっていた祖母の少し固い情に本当の意味で気付いたのは、祖父がなくなり、私も大人になりはじめたずいぶん後のことだった。少し神経質で、気丈で、5人兄弟の長女である私の母に絶対の信頼を置いている祖母は、そんなに長い間私にとってはほんのすこしだけ遠い存在だったのだ。
恋人とつきあいはじめに祖母のところに二人で旅行した。足が弱っていて、しばらく山の上にあるおじいちゃんと先祖のお墓参りができていないと嘆く祖母は、鎌を振るいながら山に登って墓参りをした恋人と私に、いたく感激して、親戚中にそれを言って回ったらしい。その後もしばらくの間、祖母に電話するとその話題が出て、私は少し困った。私は私で、大好きだったおじいちゃんに私の恋人を紹介したいという思惑があったのだから。
なぜなのか分からない私の、この祖母と何十年も前になくなった祖父の住んでいた家へのこだわりは、祖母の入院とともに私の中で白熱しはじめた。あの家にだれもいなくなる。あの家が、ひとりぼっちになってしまう。私が行かなければ、とさえ思った。なんとも非現実的なことではある。過疎も過疎、病院さえまともにない場所で、仕事といえば近所の農家を手伝ってお小遣いをもらう程度だろう。まだ働き盛りの人間が経済活動を行えるような場所ではないからこそ、祖母の孤独は深く、5人もいる子供達がひとりとして手を出せなかったのだ。
おばあちゃんは山から出て、ケアハウスの個室で生活を始める。そこでまた、神様を祀り、御霊様を祀り、そうして暮らす。あの家の神様と御霊様はおばあちゃんのもとへ移されるというのに、私にはあの家にやはり、神様が宿り、御霊様が寛いでいるのが見えてしまうのだ。
私の中でリフレインのように、あの家の二階から見た、真夏の裏山で神話に聞く星のように石が光っているのが見える。夜にその同じ場所を狐火が漂うのが見える。絶えずさわさわと川の水が流れているのが聞こえる。何百キロ離れたこの殺風景な東京で、やっぱりこうしていても。
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